依存症家族と話をしていると、加害者、被害者が逆転しているケースは珍しくありません。
臨床で見られる依存症家族の具体例
アル中旦那が、酒を飲んで妻に暴力を振るっているっているのはイメージしやすいじゃないですか。
しかし、こういう方がいました。
アルコール依存症の夫を妻が「腹が立って、ボッコボコに殴ってやったんですよ!」と引きつった笑いを浮かべながら言っていました。
怖いですよ(汗)。
普通に「別れたらいいのに・・」と思うでしょう?
しかし、こういった方がいました。
「そこまで言うなら、別れたらええじゃないですか?」と僕が言うと、「子供がいるから別れられません」と妻が言う。
「いやいや、奥さん失礼ですけど、娘は何歳ですか?」と僕。「・・・35歳です」
「それで、35歳の娘は結婚してないんですか?」「・・・仕事も、結婚もしてないです」
う~ん、ですね(汗)。
ハッキリとこう言い切る妻もいました。
「わたしは、今まで、散々、この人に苦しめられましたからね!この恨みを晴らすまでは、絶対、別れませんよ!」と。
逆に、そこまで言ってくれると、清々しいですね(笑)。
依存症の家族を、共依存家族という言葉を使って表現することがあります。
共依存、共に依存しているという考えです。
実際に、アルコール、薬物依存症の世界の中で、家族・妻が、依存症を作り出しているのではないかという考えが主流になった時代がありました。
1970年代にはそういう研究が盛んにされていました。
その頃は、家族・妻への教育を徹底的にやっていったんですね。
でも、依存症は一人として治りませんでした。
最近は、この共依存家族という考えは、エビデンス(化学的根拠)がないと言われています。
欧米では、まず共依存という言葉は使いません。
でも、この共依存という言葉には一面の真理、いや、それ以上のことがあるように思えてなりません。
共依存とは
共依存とはお互いがお互いをコントロールする関係のことです。
僕も長らく、アルコール・薬物は快楽があるから、依存症になるのはわかる。
なぜ、夫婦間、親子間で依存がおこるのか、分からないところがありました。
そこにある欲望の名は
コントロール欲求です。
支配欲といってもよいでしょう。
例えば、頻回なメールや電話を要求する。あるいは時々、携帯の中身を確認する彼女や妻。
例えば、モラハラやDVをする彼氏や夫。
束縛もまた、コントロールです。
教育熱心。熱心が過ぎて強要になっている母親。しつけと称して、子供を殴る、父親。
行き過ぎた教育もまた、コントロールではないでしょうか。
そして、コントロールを、支配・被支配の関係を「愛」とその人たちは呼ぶのです。あー怖い(汗)。
だいぶ、普遍的な家族の問題に近づいてきましたね(笑)。
僕は、コントロール、支配は愛ではないと思っています。
それどころか、愛とはもっとも遠い行動、考えであると思っています。
どうでしょうか?
無自覚に、これは愛だといいながら、自分の家族と、夫と、妻と、子供と、彼氏と、彼女と。コントロール、支配・被支配の関係になっていませんか?