みんな、みんな、寂しいのです

 

はたして、それらは、本当に必要なものなのだろうか?

電車に乗ると、みんな一斉に携帯を触りだす。
今は、空いた時間は景色を見るためにはないのだ。
みんな、時間に追われるように、携帯の中で、たくさんの人とつながって、たくさんの情報を得て・・・。

それらは、かつては必要でなかったものなのかもしれない・・・。
SNSでの“いいね”が欲しくて投稿したり。
人に同意してもらいたかったり。
はたまた、反対意見に対しては攻撃してみたり。

みんな、寂しくて仕方がないんだ。

寂しいから、何かや、誰かに依存してみたり。
だから自分の意見もなくなり。
自分が、空っぽで空虚で、自分に自信がなくなり。
寂しいから、いつも不安で不安でしょうがないのだ。
みんな、寂しくて、寂しくて・・・。

かつて、僕もさみしがり屋でした。
小学校の時には、すでに、寂しくて寂しくて、たまりませんでした。
一人部屋にいると、胸に20cmぐらいの穴が空いているのを感じていました。そこにビュービューとすきま風が吹き込んでくるのを感じていました。
こういうのを「こころの穴」と言ったりしますが、実はこういう感覚は一般的ではないです。僕の今までの経験上では3名ぐらいしか「こころの穴」を体感している人はいませんでした。

寂しいといつも空虚です。
誰とどこにいても楽しくありません。誰とどこにいても自分が浮いている気持ちでした。いつも、ここは自分の居場所じゃないと思っていました。

僕にとっては、それが普通でしたから。
ずっと、それが一般的な、普通の感覚なんだと思って生きてきました。
「人は一人では抱えきれない孤独を抱えながら生きていくものなのだ」などと言いながら自分を納得させてきました。

でも、自己治療して見える景色は違っていました。
寂しさは無いのが普通だったのです。

 

僕は、寂しさはトラウマだと思っています。
過去にできた心の欠損です。「こころの穴」です。

おぎゃ~と生まれた赤ちゃんの時、あるいは子供時代に、100%の受容と愛で育てられていたら生じていないものなのです。
僕はこう考えます。
親も人間です。学校の先生だって、少しばかりこの世に生を受けたに過ぎないのです。
だから、たとえ一生懸命育ててくれたとしても、うまく育てられないこともあるのでしょう。
誰もが完璧になんてできないんです。
だから、みんな少なからず心の欠損はあるのでしょう。
だから、みんな寂しいのでしょう。
そして、寂しくて生きていくのが不自由ならば治せばいいのです。

体育すわり
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