前回、人が信じられない人・・という話でしたが。
今回の話は、前回とセットの話だとは思いますが、人からの愛情が受け取れない人というのもたくさんいるという話です。
人が信じられない、猜疑心があると・・・
「どうせ、裏切るんでしょ」とか「どうせ、裏があるんでしょ」なんてことを思うようになったりするのではないかなと思います。
あと、もうひとつのパターンは、
「わたしなんて、そんなことを言ってもらう価値がない」「どうせ私なんか・・・」「申し訳ない・・」なんて人たちかと思います。
どちらもあるなあ・・という人もいるかもしれませんが・・・
疑って拒絶するか、謙遜して拒絶するか、みたいな・・・
どちらにしても、人への拒絶であり、人からの愛情がうけとりにくい状態の人たちではないかなと思います。
僕のところに来るお客さんで圧倒的に多いのは「申し訳ない」と言って、愛情がうけとれないタイプです。
人への不信感、猜疑心が強い人は僕のところにも来ますが、そういう人は、あんまり来ないでしょう。・・なんせ、疑っていますから。
「申し訳ない」という人。
謙遜、遠慮して、気を使って・・一見、良い人とも思えるかもしれませんが・・・。
本人たちは自覚がないかもしれませんが・・謙遜しつつ人を拒絶しているようにも見える・・・。
僕はよく「申し訳ないという人が、一番申し訳ない・・」
なんて話をしますが・・なかなか伝わらないですよねえ・・・
僕は、「申し訳ない」という人たちの正体は、
自責感が強い人たちだと思っています。
自責感が「わたしなんて・・・」「申し訳ない」というような考えを作り出しているのだと思います。
さらに言えば、日本人的な文化として、謙遜とか、謙虚とか、遠慮とか、我慢とか・・こういう文化が、こういう自責感を強化させているようです。
「和をもって尊しとなす」・・というのが日本人の文化でしょう。
しかしながら、その実、謙遜とか、謙虚とか、遠慮とか、我慢とか、みんなのためとか言いながら・・最終的に人を拒絶するようになっているとしたら因果な話ですね。
人の愛情が受け取れず、人を拒絶し・・・そういう負のスパイラルから抜け出さないといけないのではないか・・と、そう思います。
本来の意味で、社会や人と「和をもって尊しとなす」になれればいいのですが・・・