心理カウンセラー 片山太郎のプロフィール

片山太郎の経歴

所有する資格

看護師

臨床経験

精神科病院にて看護師として20年

依存症病棟において学び実施してきた心理療法

  • 動機付け面接法
  • 内観療法
  • CRAFT
  • 条件反射制御法

執筆論文

片山 太郎, 槇 健吾, 山下 亜矢子, 渡邉 久美(2015).アルコール依存症医療に従事するコメディカルスタッフが陰性感情への対処からやりがいを獲得するプロセス 日本精神保健看護学会誌,24 (1), 59-67.

講演・講義

岡山・建部医療福祉専門学校にて精神看護の臨時講師として講義
講義に使用したパワーポイント→依存症の看護(詳しくは岡山・建部 医療福祉専門学校で講演をしてきましたに記載しております。)

片山太郎


片山太郎物語~アダルトチルドレンの僕がカウンセラーになるまで~

僕は、大人になって、やっと親に言えた言葉があります。

「あなたがたに愛された記憶も経験もない」と・・。

しかし、親の答えは、薄ら笑いを浮かべた「愛してきた」という言葉でした。

どうして、こんなにも親と通じ合えないのだろう・・分かり合えないのだろうか・・。

手を伸ばす

 

狂騒・混乱・孤独の家庭環境

子供の時、親が僕に与えてくれたものは狂騒と、混乱と、孤独だったと思います。

その後の僕の人生を考えると、他にも様々なネガティブな影響を、この幼少期に与えられてきたのですが・・・

 

僕が生まれた時は、家族は7人家族でした。

いつも、家庭内は、騒がしく、うるさかった・・。

小さい頃から、家の中にあるコミュニケーションはヒステリックで、怒鳴り合いの、まさしく狂騒ともいうべきものでした。

分かりやすいところでは、お父さんが酒飲みで、お母さんは共依存でした。

父親は「酒だけが友達」みたいなことを言い、酒を飲み。

母も母で、そんな父をほっとけばいいのに「アンタ、2合までにしときんさいよ!」と言い。それに対し父は「うるせぇ!いらんことばあいいやがって!」と、言い合い、怒鳴る。こんな、やり取りが毎日の夕食の時間。

夕食後、父は、決まってTVを見ながら、タレントや政治家に対し「バカだ」とか「アホだ」と文句を言っている。

よく、母は僕に対して「お父さんとは、もうやっていけれんわ。お父さんと別れようと思うんじゃけど・・。太郎、ついてきてくれるか?」みたいな話を聞かせてくれる・・。

今、思えば、アル中家庭のテンプレのようなやり取りが、延々と繰り広げられていました。

 

僕は、物心ついた時から、両親と会話が成立しないな・・と感じてきました。

少し、大きくなってきても「親とは、世代間のギャップで会話ができないんだ・・」なんて、自分を納得させてきました。

親子で世代が離れているなんて当たり前で・・そんなことで親子が会話できないなんてことは無いんですけどね。

 

最近の話だが、現在、僕の家は、長女が不登校なのだが、もうすぐ次女が小学生になるタイミングで、母から「たのむけえ、次女は小学校に行かせてやってくれぇな」と言われ・・。いやいや、僕ら好きこのんで長女を学校に行かせないようにしているわけじゃないんだから・・(汗)

父は父で、最近、父親の兄弟が亡くなって。その人となりについて母から話を聞いている時に、父は「そんなこと、どうでもええ!」と一言。いやいや、あなたの兄弟の話でしょうに・・・(汗)

こういう、デリカシーの欠片もなかったり、意味不明だったり、会話にならなかったり。会話のキャッチボールが成立しない。もちろん感情の交流もできないわけで・・。

一事が万事、親との会話はこのようなものですから。

僕も今になっては、こんな会話で腹を立てることも、虚しさを感じることもないですけど。

それでも、子供の頃の僕にとっては、この両親、この家族関係が世界でしたから。

長らく、これが普通の家庭なのだと思って生きてきました。

 

幼少の頃、僕は何をして遊んでいたかというと、ド田舎ですから、田んぼ、畑、小川とか・・虫、カエル、魚・・そういうのを捕ったり、殺したりして遊んでいました。

よく覚えているのは、昔は五右衛門風呂で、その薪の火を毎日、何時間も見ていました。

小学校に入ってからは、家が熱心に宗教をしていたので、決まって休みの日は宗教の集まりに行っていました。

そんなことを思い出していったら・・親との思い出がないんですよね。

休みの日、親と一緒に過ごすとか、遊んでもらうとか・・。たぶん、普通の家庭にあるような普通の家族の時間。そんな記憶が無いんですよね。

僕が、結婚して、子供ができてみて、本当によく分かるようになりました。どれだけのものが、僕にはなかったのか・・・。

 

子供の時、僕はうつ伏せで寝ることが多かったです。

「地球に抱っこ。地球とハグ」なんて思っていました・・。

そうすることで、ようやっと安心して眠ることができたのだと思います。

また、母の布団の匂いもよく覚えています。

母の布団に包まれて、安心感を感じようとしてきたのだと思います。

僕は、ずっと母に抱っこしてもらいたかった。母に甘えたかったのです。

でも、母に直接、甘えることはできなかった。

なぜなら、実際の母は子供を愛せれるような人ではなかったし、母は父や、宗教を見ていて僕の方を向いていないことを知っていたからかです。

 

高校の時に熱心に読んでいた漫画で「寄生獣」という漫画があります。

話の中で、主人公は母親の姿をした化け物に心臓を貫かれ、殺されます。後に、心臓は修復されますが・・。

ケロイドのような心臓の傷跡ができ、主人公が「胸の穴だ・・・」とこぼすシーンがあります。

当時、このシーンにものすごく共感をしたのを覚えています。

僕の心にも穴が空いている・・と感じていました。

ようは、ずっと寂しかった・・そんな風に、気づいて、自覚することさえ、ものすごく時間がかかったのですけど・・・

夫婦喧嘩と子供

 

学校や社会に適応できない

家には本が1冊もありませんでした。

正確には、宗教関連の本。池田大作の「人間革命」だけはあったと思います(笑)

さらに、ウチは田舎で。中学ぐらいまで自販機でジュースを買う事さえ無かったと思います。

今みたいにパソコンも、スマホもないですから、何の情報もないワケですよ。

さらに、言ってきたような親子関係ですから・・

そりゃあ、学校に適応できるワケがないんですよ。

昨日まで、カエルを捕って遊んでいたら・・急に小学校に行けと言われても・・

小学校?勉強?ナニソレ??みたいな感じだったと思います。

 

まず、小学校の入学式に出ていないですからね((笑)

聞いた話によると、木の上に登って、その下にある用水路に糸を垂らして・・降りてこなかったらしいです。

「どうするんか?小学校いくんか?釣りをするんか?」と聞かれ「釣り」と答えたそうです(笑)

 

今、子供の頃の自分を俯瞰で見ると、どんな子だったかな・・と思います。

本来、信頼できる親が信用できなかったワケですから、人なんか信用できません。

親とうまくかかわってきてもらえていないワケですから、人とうまくかかわることもできません。

親に愛されてきていないから、寂しくて寂しくて・・。

社会や他人に対する、不信感と寂しさ、矛盾した2つの感情を抱いて生きてきたと思います。

 

ひねくれていて、あまのじゃくで、嫌味っぽく。

焦燥感があり落ち着きがなく。集中力が無く人の話もまともに聞けれない。

自信がなく、対人緊張もあって、人の目も見れず、それを隠すかのように横柄で。

いじめにあってからは、ピエロを演じたり・・

とても嫌な性格で、とても付き合いにくい人間だったと思います。

たくさんの人に迷惑をかけて生きてきました。

学生時代と、社会人になってから、それでも、稀に、そんな僕を受け入れてくれる人がいました。当然、まったく受け入れてくれなかった人もいます。

今は、かかわってくれたすべての人たちに、感謝しかありません。

両親も含めて、その中の誰かひとりでもかけても、今の僕は形作られなかったでしょう・・

出会ったすべての人に、心から「ありがとうございます」

指を指される人

 

アダルトチルドレンの自覚と自己治療するに至るまで

僕が精神科に就職したのは20歳の頃です。

「生き死にの現場にいたら何かが変わるかな・・」と思って病院で働きだしました。

そこから、仕事をしながら看護学校に通い。計5年かけて看護師免許を取得しました。

最初の10年間は慢性期を主体とした精神科病院にいました。

その後、30歳から岡山県精神科医療センターの依存症病棟で働きだしました。

依存症病棟で働きだして2年ぐらいしてかな・・やっと「あれ?これ我が家のこと?親のこと?僕のことじゃね?」なんて、少しずつ気づきだしました。

僕は、何の因果か、家族教室の運営を立ち上げたり、家族に直接指導していたんですけどね・・。自分でも、どれだけ鈍いのか、と思いますが・・これも、アダルトチルドレン故に、だと思います。

幼少から、自分の思いも、感情も出してきていませんからね・・

自分のことに・・自分の思いや感情、自分の反応に鈍かったんですよね。

僕は、たまたま、精神科の道に入って・・。たまたま、依存症病棟に入って・・依存症者や、依存症家族と付き合っていくことで気づくことができて本当にラッキーでした。

・・とはいえ、自分の苦しさの原因に気づいたぐらいで、アダルトチルドレンから回復していけれるか・・といったら、それはまた別の問題でした。

 

依存症という病気は、薬物療法が効果がない病気です。

そのため、それ以外のカウンセリング技法や心理療法が発展した分野でもありました。

僕も、認知行動療法や、内観療法といった心理療法、動機付け面接法といったカウンセリング技法を実践の中で学んできました。

2011年からは、条件反射制御法という心理療法をおこなってきました。

反射の理論の中で、防衛の反射(トラウマ)を消去する方法として、暴露と反芻を繰り返すという方法があります。

どうやって暴露(過去のトラウマの想起)をするかというと、当初は、苦しかった過去を書き出すという、いたってシンプルことをしていました。

そういう手法を患者さんには提供してきたのですが・・いざ、自分がそれをするのは抵抗がありました。それは、怖かったから・・です。

でも、過去と向き合うことが怖いって言っている時点で、そういうことですから(笑)

それに、自分が提供しながら、自分自身はやらない・・なんて、そんなシツレーな話はないので・・やらざる終えなかったですよね。

それで、トラウマの書き出しをしたら、反応するのなんの(汗)

水分もさほどとっていないのに水みたいな下痢がとまらない。頭も痛いし。起きていられない。涙も出るし・・。

3日で3キロ体重が落ちましたね。

正直、苦しかった・・、と同時に「僕は全然、治っていないや」そう、思いました。

 

そんなこんな自己治療を自分におこなってきて、ある日、仕事の帰り道、茜色の空、真っ赤に沈む夕日を見て「キレイだな・・」と思って、そこから涙が止まらなくなりました。

その時、僕は「この世界に受け入れられた。この世界で生きていてもいいんだ」と心から思えたのです。

その感覚を持って、アダルトチルドレンから完全に回復した・・とも言えませんが。自分の中では大きなターニングポイントだったと思います。

夕日

 

そしてカウンセラーの道へ

以上のような人生経験、臨床での実践、自己治療、自己回復をしてきた僕ですが・・

ありがたいことに、仕事の面では、病院の中でカウンセリング、心理療法をしたりと、そういったことができていましたので、何の文句も不満もありませんでした。

しかし、所詮は一看護師にすぎないですから・・病棟医師や、病棟師長の指示のもと、見守りの中で、そういうことができていたんですよね・・

一緒に働いてきた、医師たちも他の病院へ行ったり、留学したりして、いなくなり。師長も上ともめて、いなくなり・・

そこに、そういったことにまったく理解の無い上司が来て「片山くん、看護師なんだから、そんなことをしていたら困ります」と言われ。その瞬間に「じゃ、辞めます」と辞めてしまいましたね。

それがなかったら、今も病院で働いていただろうな・・と思います。

 

当時は、その上司に対して「ふざけんなよ!依存症病棟壊す気か!」ぐらいの怒りがありましたが・・。

でも頭では、僕が辞めたところで病棟も、病院も変わりなくあり続けるのは分かっていたし。日本の精神科医療はそんなものだとも分かっていたと思います。

病院で働いていたら、病院を辞めてからの僕の歩んできた道のりもなかったので・・辞めるには、いいタイミングだった。いいきっかけをもらったんだと思います。

精神科病院で働いて20年。良い医療者人生、良い看護師人生だったと思います。

 

ということで2016年2月に、私、片山太郎はK‘sセラピールームというカウンセリングと心理療法を中心にした治療院を作りました。

僕は、精神保健指定医とか、認定心理士の資格は持ってはおりません。

○○カウンセラー協会みたいな民間のカウンセラー資格もとっていません。

資格として持っているものは、看護師資格のみです。

でも、トータルで25年もの月日、精神科、メンタルヘルスの問題とかかわってきた、たたき上げの臨床家です。

たぶん、僕ほど実際の現場での経験や、直に実践でいろいろやってきた人はなかなかいないのではと思います。ましてや、アダルトチルドレンで苦しんできて、自己治療してきたという人も少ないのではないかと思います。

 

そういう経歴なので、僕のところには、精神科通院歴のある方や、うつ病、不安障害、嗜癖・依存症、発達障害・・といった精神疾患をお持ちの方も多く来られます。

民間のカウンセリングをしているところの中には、精神疾患を持たれた方のカウンセリングはできない、とお断りされるところもあるかとは思いますが、何の気兼ねもなく来ていただけたらと思います。

僕はアダルトチルドレンで育ってきていますので、家族関係の専門家だと思っていただけたらと思います。親子関係、夫婦関係、育児の悩み、家族関係に苦しんで来られた方には特におススメだと思います。

 

僕は精神科医療の中、エビデンス(科学的根拠)の世界で生きてきました。でも、今、僕が扱っているのは、心とか、感情とか、感覚であるだとか・・決してエビデンスという言葉では語れないものではないかなと思います。

それらは、フロイトという精神医学者が無意識といい、パブロフという生物学者が条件反射といったものだと思います。

まあ、アダルトチルドレンも、愛着障害も、HSP(Highly Sensitive Person)でも決してエビデンスのある言葉では無いですしね・・

 

難しいことも書いてきたかもしれませんが・・

カウンセリングは、ただ話をするだけです。

あなたの、心、感情を聞かせてください。

苦しんできた人生の話を聞かせてください。

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