愛着障害、寂しい人が寂しさをうめながら生きる時
愛着障害、寂しい人は自分の寂しさを埋めるために、どうするのか・・・。どうやって生きていくのか・・・というと。
多くは、誰かのために生きるようになるのだと思います。
そういう僕も、ひたすら誰かのために生きてきました。
僕ほど人のために生きてきた人もいないんじゃないかな・・・なんて思いますが・・
誰かのため・・家族のため、親のため、旦那のため、妻のため、子供のため、会社のため、社会のため・・・。僕は、今まで、こんな言葉を言いつつ苦しんでいる人たちをたくさんみてきました。
「誰かのために生きる」一見、素晴らしいことのように思えますね。
良いことを言っている、正しい事を言っているように見えますね。でも、その実、その中で、恨み辛みを溜め込んでいる・・・
そんな人がたくさんいるのです。
また、恨み辛みの自覚はなくとも、誰かのため・・で、がんじがらめで窒息してしまっている人も多いです。
誰かのためと言いながら、自分をないがしろにし、人の考えや意見で生きて・・・自分が分からなくなる。特に何か事がおきているわけでもないのに、苦しくて身動きがとれない・・・。
「どうしたらいいか分からない」なんて人もたくさんいますね。
もちろん、本当に誰かのために生きれている人は素晴らしいと思いますよ。
自分の考えや、思いがちゃんとあって、恨み辛みも溜め込んでいない人。そういう方たちもたくさんいると思うので・・・。それは、素晴らしいことです。
でも、誰かを幸せにしている人ほど「誰かのため」なんて言っていないような気もしますが・・・
ただ、ここに書いてあるように、誰かのためと言いながら、人生を誰かに預けてしまって、八方塞がりになり、苦しんでいたり。誰かに対する恨み辛みを溜め込んでいるのは、僕は違うと思います。
結局、それは、家族のためにも、親のためにも、旦那のためにも、妻のためにも、子供のためにも、会社のためにも、社会のためにもならないことだと思います。
一時的に「ありがとう」と言われることはあったとしても、その結果、自分が苦しんでいるのだとしたら・・そんなことは誰のためにもならないでしょう。
特に、自分のことはほっといて、自分の思いや感情もほっといて人のために・・なんて、まったく自分のためになっていないということは知っておいたほうがいいでしょう。
「自分を愛せない人は、他人も愛せない」
使い古された言葉かもしれませんが・・
「自分を愛せない人は、他人も愛せない」
という言葉がありますが、その通りだと思います。
人のためにも、けっこうな事だと思いますが・・自分を大切にすることです。自分を愛することです。これを見ているあなたは、自分を大切にして、自分を愛せていますか?
自分を愛して、自分を満たして、初めて人を大切に、人を愛せれるのだと僕は思っています。
とにかく、いっぱいいっぱいの人は、人のためにならないことが多いです。人のために生きれないことが多いです。
それならば、まず、自分を愛していきましょう。
そしていつか・・・心から誰かのために生きられるようになれば・・・それは素晴らしいことです。