みんな、小学校の先生から、道徳の授業で「人の悪口を言ってはいけません」と習ってきたと思います。
仏教の教えでも、愚痴や悪口を言うべからずと教えてもらうと思います。
僕も生まれた時からとある仏教系の宗教に入っていたので、そこでも「悪口を言っていたら功徳(ご利益のようなもの)が逃げる」と教わってきました。
古代日本では言霊などと言われ、やはり悪口は言霊となって自身に帰ってくるとも言われています。
今回は、はたしてそうだろうか?というような話ができたらと思います。
メンタルの悩みを抱えた人の話を聞いていくと「人の悪口は言いたくありません。悪口を言うのは苦手です。人の悪口を聞くのも苦手です」こんな風に言われる人がかなりの割合でいます。
カウンセリングですから、基本的には人に対する愚痴・不満といった悪口を聞かせてもらうことが多いです。ですから「悪口を言いたくない」は非常にカウンセラー泣かせなセリフだなと言えます。
でも、実は、悪口は言えないと言っている人こそが精神的に苦しんでいたりするのです。
僕が、精神科の看護師で働いていた時に【ストレスを抱えず働きやすい職場環境は?】というようなテーマで研究をしたことがあります。結論は、愚痴・不満・文句が言えるような環境があった方が働きやすいというものでした。
普通に考えたら、それはそうですよね。
サラリーマンが居酒屋に行けば、仕事の愚痴や上司の悪口を言っているだろうし。日中の喫茶店では奥さま方が旦那や子供の愚痴や不満を言っていることでしょう。
逆に悪口が言えないと言っている人はストレスが溜まるのは当然なことです。
理想は、愚痴も不満も文句も悪口なんて言わない方が健全である。それはそうでしょう。
じゃあ、そんなに理想的な環境で幸福に満ち満ちているという人がどれほどいるでしょう。
健康で、快活で、金銭的に何不自由なく、理想的な会社で働き、仕事も楽しくて、理想的な伴侶を得て、理想的な子育てをして。そりゃあ、愚痴も不満も文句も悪口なんて出てこないでしょう。でも、そんな人は居ないのではないかと思います。
あるいは、精神的に穏やかで安定していて、どんな出来事があっても動じない。そんな素晴らしい人格者。そんな人もまた、なかなかいないのではと思います。
と考えたら、悪口を言ってはならないという道徳的な言葉がすごく空虚な理想論、綺麗ごとに僕は聞こえてしまいます。
これを読んでいる人に、人の悪口が止まらないという人もいるとは思います。あるいは、身近な人にも悪口ばかり言っている人もいるでしょう。
そういう人にこそ、人の悪口は言ってはならないという言葉は必要になるでしょう。
しかしながら、そういう人たちにはいくら「悪口を言ってはならない」とアドバイスをしたところで、大概、そのアドバイスを聞き入れてもらえないでしょう。
結局、人の悪口を言ってはならないという言葉は空虚なものだと言えます。
大事なことは、人の悪口なんて言えないという人が「人の悪口を言ってはならない」という道徳的スローガンを真面目に、鵜呑みにしてしまい、人の悪口さえ言えなくなってしまっている人がいるということです。
そういった、ある種、優しい人たちにこそ、悪口を言ってはならないなんて嘘だよ。悪口ぐらい言ったらいいんだよ。と言ってあげたいところですね。
悪口を言えない人たちは、人の悪口ぐらい言えた方が健全であると言えるでしょう。
基本的には、悪口は人を傷つけますし、自分がそのコミュニティーで生きにくくなるから言わないでいられるなら、言わない方がいいのは当然です。
でも、悪口が言えない人は精神的に病んでしまいかねません。
僕は、人と人とのコミュニケーションで大切なのは、愚痴、不満、文句、悪口の言い方を学ぶことだと思っています。すなわち、言い方、言う相手、言う場所を学ぶことだと思っています。
先に言ったように、サラリーマンの方たちが居酒屋で上司の悪口を言っていたとしても、それは普通のことでしょう。でも、会社内で上司の悪口を言っている人がいたら、それはただのヤバい奴でしょう。
TPOを守って、適宜適切なコミュニケーションをとることが肝要です。
その上で、宣伝なのですが、会社の悪口だろうが、上司同僚部下の悪口だろうが、友達の文句だろうが、夫や妻への不満だろうが、両親への憎しみだろうが。カウンセリングでは誰に対する何を言っても、誰も傷つきません。
すべての言動は守秘義務によって守られます。
悪口が止まらない人だろうと、悪口が言えず苦しんでいる人も等しく、カウンセリングに来て悪口を言って、言いたいことを言っていただけたらななんて思います。