生きづらさとは
理性で本能のコントロールができなくなった状態、本能のエラーです。
例えば、食欲コントロールができないということは、肥満になって、成人病になっても食べることがやめられないとか(過食症)。
食べ過ぎるということは緩やかな死を意味します。
大げさなと思うかもしれませんが、この言葉の意味は40代、50代と年を重ねるごとに、その切実さは増すと思います。
依存行動は比較的、分かりやすいかもしれません。
では、例えば、人が怖いという恐怖がトラウマとしてあったらどうでしょうか。怖いから、対人緊張になって、そういう人間だから、いじめられるようになっていった。
そして、苦しくなって・・・自殺・・・ということもあるのです。
まさに、本能のエラーですね。
生きづらさが治るという事
生きづらさが治るということは、本能が理性でコントロールできるようになるということです。
ダイエットしたいと思えばダイエットできるようになるし、人と仲良くしたいと思えば、そうできるのです。
明るく楽しく生きたいと思ったら、そうなれるのです。
そして、生きづらさがあるから治さないといけないのかといったら、そうではないのかもしれません。
僕も、生活に支障が出ていないのなら特に問題はないと思います。
ただし、避ければ支障をきたさない場合もあるとも言えます。
例えば、車の運転が怖いとします。車の運転を避けて、電車やバスで通勤している人は特に不便を感じていないかもしれません。
しかし、人間関係が苦手というのなら、そのようにはいきませんね。人付き合いを極力しないということもできないこともないとは思いますが、不便ではないですか?
自分で自覚があるかどうか?
苦しんでいるかどうか?
変わる気があるかどうか?です。
治らない人「オレはこういう人間だ」
ビッグダディのように「オレはこういう人間だ」と言っている人は治せないのです。
その偏屈さがビッグダディの売りなのでしょうが。周囲には大迷惑でしょう(笑)。
僕は、本人がそれでいいなら、それでいいと思います。
決めるのは僕ではないのですから。
「オレはこういう人間だ」という人間が治せない理由は、変わりたいと思っても変われないのは本能のエラーです。理性でコントロールできなくなっている状態です。
それが、いつも、あるいは時々そういう状態になるのです。
でも、少なくとも理性(心)は「変わりたい」と思っていなければ変われないということです。
理性も本能もこれでいいって言っている。なら、それでいいじゃないですか。
そういう人は、そこに、苦しみはないはずです。
赤塚不二夫氏はアルコール依存症(依存症の診断はついていなかったかもしれませんが)で死にましたが。酒を飲みながら「これでいいのだ」と言いながら死にました。
これでいいと、その人が思えたら、それでいいんです。それを、周囲が受け入れられれば幸せなのです。
困った人
一番困るのは、「オレはこういう人間だ」と口では開き直りながらも「苦しいから、治して欲しい」と自分勝手なことを言う人です。
なんとかしてあげたいけど、もう少し自覚してくれないと、難しいですね(汗)。
記述したような、生きづらさがあって、それを変えたいと思っていても、自分の力ではなかなか変えられない人も多くいるのではないでしょうか?
僕もそうでしたが(汗)。
幼少期のほんの些細なトラウマ体験が、のちの人生に大きく影を落とすのなら、僕は、とっとと治してしまった方が残りの人生楽しいと素直に思いますが。
みなさんは、どうでしょうか?
僕は、自分自身を自己治療して変わりました。自分本来の姿になったという感じです。なりたい自分になったという感じです。
僕は、生きづらさは、生まれながらの気質ではない。ましてや性格でもないと思っています。
生きづらさは必ず治ります。