人が信じられないという人へ

人が信じられない・・
このブログを読んでいる人の中にも、そういう人は多いんじゃないかなと思います。

人に傷つけられたから信じられない

人は、なぜ人を信じられなくなるのでしょうか・・・
答えはすごいシンプルだと思います。

今まで、人に傷つけられてきた。人に裏切られてきたからだと思います。

そういうことが、今までたくさんあったのだろうと思います。
いかがでしょうか?

その経験は、人によってさまざまでしょうが・・
学生時代のいじめ、であったり。社会人になってからのパワハラ、であったり。
こういういじめやパワハラがあると人が信じられないというより、人への恐怖が先にきてしまうかもしれませんが・・。
人も信じられなくなりますよね。

あるいは、詐欺みたいなものにあったとか、
友達と喧嘩別れをしただとか、
彼氏や彼女が浮気をしただとか・・

こういうのを裏切りととらえ、ひどく傷ついたら人が信じられなくなるでしょう。

誰も、守ってくれなかった。
助けてくれなかった。
親身になってくれなかった・・・

そんな出来事は、すべて人への不信感へと変わっていくのかもしれませんね。

不信感があったから、今まで生きてこれたという側面もあるでしょうが・・
不信感を持って生きていくというのも、人や社会が信用できないわけですから苦しいのではないかなと思います。

また、不信感が強い人になればなるほど、やはり回復というのも難しくなっていきます。回復とは、不信を信頼に変えることかもしれませんから。

例えば、僕がどれだけ「苦しかったね・・」とか、「よく頑張ったね・・」とか、優しい声かけをし、今までの人生を慰めたり、褒めても・・声が届かない人というのはいます。

涙一粒流れない人・・そんな人もいますね。なかなか人の心というものは難しいものです。
そんな人たちは、内心「会って何時間でわたしの何が分かるの?」とか「どうせ、お金を払っているからそういうこと言っているんでしょ?」とか・・さすがに、そこまで人間不信が強い人は少ないかもしれませんが・・・。

それに近い人たちが僕のところにはたくさん来ていると思います。
半面、「そんなことは親にも言ってもらったことがない」「私なんかに申しわけない」と泣いてくれる人のほうが多いですけど。そういう人たちのほうが改善するとも言えますが・・こういったパターンでも、なかなか大変な場合もありますね・・・

不信感の強い人たち

あと、最近ブログでよく話をしている。愛着障害とか、アダルトチルドレンの方たち。

こういう人たちの不信感というは強いです。
本来、一番信頼できる人、親という存在が信頼できなかったのですから・・・
それは、人が信頼できなくて当然なんですよね・・・

人が信じられるようになれば・・・あなたの生きる世界も不信から、信頼できる世界に変わるでしょう・・・
人や社会が信じられなくても生きていけるかもしれませんが・・

それは、決して幸せとは言えないと僕は思います。

親身になる

人からの愛情が受け取れないという人たち

この話は、「人が信じられない」とセットの話だとは思いますが、人からの愛情が受け取れない人というのもたくさんいるという話です。

人が信じられない、猜疑心があると・・・
「どうせ、裏切るんでしょ」とか「どうせ、裏があるんでしょ」なんてことを思うようになったりするのではないかなと思います。

あと、もうひとつのパターンは、
「わたしなんて、そんなことを言ってもらう価値がない」「どうせ私なんか・・・」「申し訳ない・・」なんて人たちかと思います。

どちらもあるなあ・・という人もいるかもしれませんが・・・
疑って拒絶するか、謙遜して拒絶するか、みたいな・・・

どちらにしても、人への拒絶であり、人からの愛情がうけとりにくい状態の人たちではないかなと思います。

僕のところに来るお客さんで圧倒的に多いのは「申し訳ない」と言って、愛情がうけとれないタイプです。
人への不信感、猜疑心が強い人は僕のところにも来ますが、そういう人は、あんまり来ないでしょう。・・なんせ、疑っていますから。

「申し訳ない」という人。

謙遜、遠慮して、気を使って・・一見、良い人とも思えるかもしれませんが・・・。
本人たちは自覚がないかもしれませんが・・謙遜しつつ人を拒絶しているようにも見える・・・。

僕はよく「申し訳ないという人が、一番申し訳ない・・」

なんて話をしますが・・なかなか伝わらないですよねえ・・・
僕は、「申し訳ない」という人たちの正体は、自責感が強い人たちだと思っています。

自責感が「わたしなんて・・・」「申し訳ない」というような考えを作り出しているのだと思います。
さらに言えば、日本人的な文化として、謙遜とか、謙虚とか、遠慮とか、我慢とか・・こういう文化が、こういう自責感を強化させているようです。

「和をもって尊しとなす」・・というのが日本人の文化でしょう。
しかしながら、その実、謙遜とか、謙虚とか、遠慮とか、我慢とか、みんなのためとか言いながら・・最終的に人を拒絶するようになっているとしたら因果な話ですね。

人の愛情が受け取れず、人を拒絶し・・・そういう負のスパイラルから抜け出さないといけないのではないか・・と、そう思います。

本来の意味で、社会や人と「和をもって尊しとなす」になれればいいのですが・・・

申し訳ないと言うことが一番申し訳ない

僕がよく言うセリフで

「申し訳ないと言うことが一番申し訳ないことだよ・・」

ということがあります。
お客さんから「??」みたいな顔をされることも多いですが・・・

今回は、このことについて詳しく説明していきたいなと思います。
何かしてもらったことに対して「申し訳ない」と思う人がいます。「私なんて・・」なんてと思う人もいますが・・

こういうのは自責感、あるいは自信のなさからくる言葉かなと思います。

こういう言葉は、謙遜しながら人を拒絶しているようにも見えますね。
人に気を使いながら、人を拒絶するのは因果な話だ・・というのが前回のブログだったと思います。

こういう話を聞いたことがあります。
ある人の近所に引っ越しをしてきた人がいる。

そして、家に引っ越しのあいさつに来て。お決まりの引っ越しそばを持ってこられたと。
それを丁重に「申し訳ないからいいです・・」と断った・・という話です。
そんなことあるの!?と思われる方が大半かと思いますが・・そんなことがあるみたいですよ・・・

ここまでくると謙遜を通り越して失礼ですよね・・・。

そばは生もの。それを、断るということは、ゴミにでも出すしかないじゃないですか・・・
そこは「ありがとうございます。これから、よろしくお願いします~」じゃないんですかね・・・

吉本新喜劇のギャグでそういうのがありましたね~
「これ、つまらないものですが・・」と持ってきたものを、「つまらないものなら結構です~」なんて下りがあったと思います。
アレですね。

そこまでいったら、もはやギャグなのでしょう。

もし僕が嫁の前で「申し訳ない・・」なんて言ったら、嫁から怒られますからね。
「はぁ?私は申し訳ないなんて言う人と結婚したわけじゃないんですけど!?申し訳ないとか、僕なんて・・って言うことは、私もダメな人間が好きな人だってディスっているようなもんだからね!」
なんて昔、怒られた気がします。

嫁さん、あの時はごめんなさい。あの時の僕は自分に自信がなかったんだよね・・・
まあ、書き出したらキリがないので、この辺で。

申し訳ないと思ったり、言うことは、自分を下にする、貶める言葉だと思います。
同時に、大切に思ってくれている人、愛してくれる人をも貶める言葉だと思います。

あなたを愛してくれる人がいるのなら・・
その人たちは、あなたの口から「申し訳ない」とか「自分なんて・・」という言葉を望んで傍にいるわけではないでしょう。

たぶん、あなたに、ただただ元気で幸せであってほしい・・そのことだけを願って傍にいるのではないでしょうか・・・
あなたが、あなたを愛してくれている人たちにかける言葉は「申し訳ない・・」ではないと思いますよ

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