どんな素晴らしい教えも絶対になってはいけません。

前回、日本人の病という投稿で、日本人の民族性の病というものについて書いていきました。それは、抑圧、我慢する癖のようなものだという話でしたね。

でも、ハッキリ言って日本人が~とかはどうでもいいっちゃあどうでもいいです。
個人的な思想や信仰があったとしても、僕の仕事は人の苦しみを取ることですからね・・・。

とにかく、そういうものに縛られて、自分を抑圧する癖がついてしまっている人が少なからずいるということが僕にとっては問題で。そういう、我慢をする癖みたいなものをとっていかないと多くの人は治っていかないのです。

僕のところには、そういった特性の人が多く来ていて、逆算的に、日本人の奥ゆかしさが悪い方向に出てるな~と思って、そういう投稿をしてみたということです。

だから、僕は日本人の耐え忍ぶ姿とか、恥の文化とか、武士道精神とか、日本女性の奥ゆかしさとか、どうでも言いっちゃどうでもいいですね。

イデオロギーでも、親の教えでも、日本人の心でも、信心でも、信念でも、素晴らしいとは思いますよ。
どうぞ、みなさん好きに、自由に生きていってくださいという感じです。

基本的に、僕は僕の考えを押し付けないし、みなさん自由に信じたいものを信じたらいいのです。

ただし、僕がわかって欲しいのは、我慢で人は壊れるよ~ってことだけです。
それでも、壊れてもいい!我慢がしたい!っていうドMの人はご自由にって感じですけど(笑)。

自分が信じてきたものが自分を苦しめるということがあるんですよね。
しかし、この考えが自分を苦しめているんだよな~とか、もっとこういう風になれたら楽なのにな~と思っても、なかなか人はそのようになれないのですよ。

それが、行き着いてしまうと、こうあるべきだ、でなければならないという、凝り固まった思考に陥ってしまいます。
そういうのを白黒思考、イチゼロ思考と言います。
認知の歪みとか、自動思考でもいいですよ。

基本的に、生きづらさがある人や、うつ病や、不安障害といったメンタルヘルスの疾患を持っている人は、そういった思考が強いです。
時間の経過とともに、凝り固まった思考は、より強固に、とけにくくなってきますね。

みんな何かを信じて、何かに頼って生きている。
それは、それでいいのですが。それが、絶対になってはいけないのです。

思考は不自由になって、社会と自分のギャップや摩擦はどんどん大きくなり、苦しくて苦しくて・・。そのギャップで人を責め、自分を責め・・。とうとう、生きていけなくなるのでしょう・・。

なぜ、人は自分の誤りに気づかないのでしょう?
なぜ人はなりたい自分になれないのでしょうね?
僕は、そこには幼少期からの刷り込みのようなものがあると思っています。いわば、洗脳のようにです。

親の教え、学校教育、慣習、一般常識・・。

僕のところに来ている人の家族がまれに僕に対して「洗脳されている」とか言って恨み節、レッテルを貼る人もいますが、その人は自分が洗脳されてきていないとでも思っているのでしょうかね・・。
TV、新聞、雑誌、ネット、あらゆるメディアにみんな影響を受けているじゃないですか?
洗脳というのならば、教えが絶対になっている状態を洗脳というのではないでしょうか・・。

教えは絶対になってはいけません。
絶対になると思考の柔軟性が失われます。
ケースバイケースとか、TPOにあわせてということが出来なくなってしまうのです。

それは、苦しみの元凶ですね。
例えば、親は大切だという教えがあります。当たり前のことですよね・・。
これは、仏教でも、キリスト教でも、親の大切さを説いていると思います。

では、その親が虐待するような親であったならどうですか?
自分の周りにそういう人がいて、その人が苦しんでいるとしたら、それでもあなたはその人に「親は大切だから・・」と親の大切さを説きますか?

親が大切という考えは、そういったケースの場合、虐待されている人をより苦しめ、もしかすると殺してしまう考えなのかもしれませんよ。
一般常識という名の凶器を振りかざす人は、ひょっとしたら、すでにまともに思考ができない不自由な人なのかもしれませんね。
当然、ご自分では何も気づいていないのでしょうが・・。

被害者は加害者になり、加害者は次の被害者を作っていくのでしょう・・。
誰もが、無自覚に・・。

ということで、僕の仕事はこういう絶対的な思考というものをとっていくことかもしれません。
わかりやすく洗脳をとるのが僕の仕事です。僕は、トラウマを取り、依存を取り、そして、洗脳をとっているのです。

そして、洗脳をとり、絶対という思考が消え、自由になると。
自由になり、ケースバイケース、TPOに応じた考えができるようになります。単純に脳の回転は速くなりますね。

その先に何があるのか、です。
その先に、やっと教えが身につくということが起きるのです。
教えを手放し、そして初めて教えが身につくのです。

因果な話というか、不思議な話ですね・・・。

まあ、こういうものは、体験してみないと分からないことでしょうが・・。

どんな教えも絶対になってはいけません。
どれほど素晴らしい教えもうまく使いこなすことができないでしょう。

教えは手放して、初めて身につくのです。
そうして、ケースバイケース、TPOに応じた考え、選択ができるようになるでしょう。

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