「頑張って」
「前向きに。ポジティブに」
「クヨクヨしないで」
「考えすぎないこと」
「気にしすぎよ」
「夢を持つんよ」
「勉強をしたら、将来立派になれるから。しっかり勉強するんよ」
「いい大学に入って、いい会社に入って、お金たくさん稼ぐんよ」
「親を大切にするんよ」
「旦那や、奥さんを大切にするんよ」
「子供を大切にするんよ」
「家族を大切にするんよ」
このようなことの一つや二つ、誰かに何かの拍子で言われたことはあるでしょう。
確かにその通りなんでしょうけど。
それが、できるようなら人は幸せに暮らせるのかもしれませんが。
苦しんでいる人は、そういう風にできないから苦しいわけで。
できないことを言われたら、余計に苦しくなってしまいますよね。
言っている方も、特に何も意識せず言っていることがほとんどなのでしょうが。
本当に本人のためになると思って言っているのなら、苦しんでいる人を追い詰めることにもなりかねないので止めたほうがいいかもしれません。
真面目過ぎると自責感で閉塞していく
正論を言われると「そうだよな。でも、そうなれないよな。じゃあ、できない、なれない自分が悪いのか・・」と最終的に自責感に行きつきます。
そんな言葉で、どんどん追い込まれていくと、最終的に、うつ病などの精神病になったり。最悪、自殺という形にまで追い込まれてしまう人もいるでしょう。
人の言うことなど真面目に受け止めずに「知らん知らん」と逃げるタイプや。
「うるさいな。こっちだって精一杯やってるんだ。じゃあ、お前がやってみろ」と、自分の身を自分で守れる人。
(誰が誰に何を言っているの?)と鼻で笑って、人の意見なんて意に介さない人。
コレらのタイプの人はたとえ正論を言われても、傷ついて苦しくなることは少ないでしょう。
やはり、人の言葉を真に受けて、自分を責める人ほど、どんどん追い込まれていくものです。
精神疾患を持つ人を追い詰める正論
うつ病の人に言ってはいけない言葉は「頑張れ」です。
壊れるまで頑張った結果がうつ病という病だとしたら、人から「頑張れ」と言われたら「これ以上、頑張れと言うのか・・」と絶望してしまいます。
同じように、不安障害の人に「気にしすぎよ」って言うことも同様です。
気にしすぎているから不安障害なので。
やはり「気にしすぎ」と言われても「分かってもらえないんだ」となってしまうでしょう。
依存症という病を持つ人にも。
ついつい「お酒を止めて」とか「薬をやめて」と心配して言ってしまうものですけど。
結局、そういう言葉が本人を追い詰めて、病は進行していってしまうのです。
愛情を与えてくれる人と付き合うこと
正論を言われて辛い人は、正論を言う人とあまり接さないことです。
じゃあ、どんな人と付き合えばいいの?と思う方もおられるでしょう。
それは、できれば人の事をとやかく言わない人がいいですよね。
気持ちを分かってくれたり、話を聞いてくれる人がいいでしょう。
そういう場所、そういう人がいるところとつながることをお勧めします。
とは言え、ワイドショーのような、何か不祥事を起こした人を安全圏から袋叩きにするという文化もあるものですから(汗)。
まったく誰かが誰かのことをとやかく言わないというコミュニティーはないでしょうから。
愛情だけ与えてくれる人や、場所とつながろうというものも、いささかキレイごとのように聞こえるかもしれません。
そこで、信頼できる専門家。
信頼できる精神科医や心理カウンセラーさんがいればいいのでしょうが。
そういった専門家と言われる人達が積極的に正論を言うので、困ったところではあります。
うつ病で病院にかかったら「朝早く起きて、走りましょう」と言われたとか。
そういう資格だけ専門家のところに行って、さらに追い詰められることのないように願いたいものです。
正論に対抗できる自分になる
正論を言われて傷つく人は、できない自分がいることを認めることです。
そこで、自責感にとらわれず、なんでできなくなったかというところまで考えてみて欲しいのです。
例えば、幼少から「なぜ、できない」とできないことを責められて育ったとか(子供ができないは当たり前なのに)。
何らかの理由があって、当たり前ができない自分になっていったのではないかと思います。
そこまで、分かれば。
自分が他の普通にできる人たちと比べて、頑張って生きてきたと認めて、褒めてあげることができるはずです。
それが、できていければ。
正論に傷つかない自分ができてくるはずです。