100%の理解と、受容と、愛情を求める
寂しさ、愛着障害・・を抱えた人は、100%の理解と、受容と、愛情を求めていたりします。
例えば、
「どうして、私のことを理解してくれないの・・」
「どうして、私のことを受け止めてくれないの・・」
「どうして愛してくれないの・・」
そんなことを日々、思っていたり、言っていたりするのではないかなと思いますが。いかがでしょうか?
どうでしょうか・・・100%の理解、受容、愛情をくれた人が今までいましたか?
なかなか、そこまでの理解を、受容を、愛情をくれる人はいなかったのではないでしょうか・・
そのため、ずっと満たされていない感覚があるのではないかと思います。
いつか、満たされる日が来ればいいんですけどね・・・
100%の愛情を求める行為は幼少期の愛情の求め方
さて、どうして100%の理解、受容、愛情を・・なんて考えてしまう人がいるのでしょう・・
寂しいから・・と言ってしまえば、それまでですが・・・
100%って・・大人になればなるほど難しいですよね。
大人になればなるほど、100%の愛情ではなくて、条件付きの愛情になってしまうからです。
いい学校、いい職場に努力しては入れたから褒められた、とか。仕事でいい結果を出したから評価された、とか・・・。すべて条件付きになってしまいますからね・・・。
そのままのあなたを愛しているよ~という100%の愛情ではないですよね。
例えば、男性から「君は可愛いね。綺麗だね。好きだよ」と言われても、
容姿が良いからそんなことを言っているんでしょ?とか。
女性から「経済力があってステキ」とか言われても、給料が良いからそんなこと言っているんでしょ?とか。
条件付きでも愛情は愛情なんですけどね・・・
100%を求めていますから・・・。どこか物足りなく感じてしまう・・・
僕も、いつも来てくれたお客さんの100%の理解者であろうと、100%受容しようと、100%の愛情をかけようと思っていますが・・・
たった1時間、2時間のカウンセリングで・・難しいですよね(汗)。
人によるだろうけど、せいぜいが80%ぐらいの愛情が届けばいいかな。
人によっては60%とかになるかもしれませんし・・・。30%とかは、さすがにないでしょう・・(汗)みたいな。
でも、なかなか100%は難しいですよねえ・・・
大人になればなるほど100%の理解、受容、愛情はなくなって条件付きの愛情になる。
そうなんですよね・・・
ですから、それこそが答えなんですけどね・・・
100%の愛情を求めるというのは、幼少の愛情を求めているということです。
幼少のころ、あるはずだった理想の親、あるはずだった理想の愛情を求めているんですよね。
それを、恋人や、配偶者、あるいは友人、会社の上司などに求めるわけですから・・・難しいですよね。
そんなことをしていると、余計に人が離れていっちゃって・・・みたいな。
そういう悲しいループに入っていきかねないですね。
なかったものを追っている、あるはずだった幻想を追っているのですから・・・
満たされることは永遠にないのかもしれないですね・・
少しの愛情で満たされるようになれば、愛着障害が改善したと言えるのかもしれない
前回、100%愛情を求めているという話でしたが・・そのために、苦しむんですよね・・
どれだけ、いろんな人に気にしてもらったり、気にかけてもらったり、愛されていても、満たされないのです。物足りないのですよね・・・。
それは、子供が親の愛情を欲するようなものですから・・誰にどのように接してもらっても、足りないのですよね・・・
30%ぐらいの愛情であっても十分に満たされる。
そのようになれればなあと思います。
例えば、僕が空いている時間を使って、お店の前を掃除をしていたら、散歩をされている見ず知らずのおじさんや、おばさんから声をかけてもらうんですよね。
「こんにちは~。せいが出ますね~」って。
「はい~。どうも~」なんて言って、少し雑談なんかしたりして・・・
ありがたいなあ~と思います。こういうのも立派な愛情なんですよね。
僕は、今、5%ぐらいの愛情で十分満たされるんですよね。
お客さんは、いつも来ていただけているし。
時々、いただきものとかいただいて・・ありがたいし。
みんな、口コミや感想文を書いてくれますし。
ありがたいですね。涙が出そうですね・・・
もはや、これは5%の愛情どころじゃないですね。100%の愛情ですよ。
僕は、そう感じています。
寂しい人や、アダルトチルドレン、愛着障害の人が回復していくとは、こういうことかなと思います。
今まで、どれだけ愛されても満たされなかった。
それが、少しの愛情でも満たされるようになっていく。
そうなってきたら寂しさが治ってきた。
アダルトチルドレン、愛着障害が治ってきたといってもいいのではないか、そう思うのです。