私が普通だと思っていた家族は機能不全家族だった。

子供にとって、家庭は自分を作っていく基盤だと思う。

でも、産んでもらって、育ててもらって、生活していた家庭が他の家庭と少し違っても別に気に留めないものだ。

学校に通うようになって「他の家庭とは少し違うな」と思っても、そんなことは些末なことで、誰かにそれを言えるような環境でもなく、大人になった。

ウチの家は普通だと思ってきた

こんにちは。スタッフYこと片山陽子です。

片山太郎の妻です。

今回は私の生い立ちの話をしていきたいと思います。

 

ウチの家は家内工業をしていた。

6人家族で父が婿養子で母と母の両親と弟の6人家族だ。

祖父が社長で、自宅の続きに縫製工場があった。

祖母が縫製をして、祖父は経理、事務、外交などを行っていた。

父には夢があったみたいだけど、物心ついた時にはその工場で働いていて、母は保育士として外で働いていたけど、弟を生んでから家の縫製の仕事に入った。

祖父は昔堅気の人で、でも、外面はすごく良くて、家族には厳しい人だった。

ウチの家の夕食は毎晩、2、3時間ほど、そのうち30分から1時間は祖父だけで晩酌をして残りのほとんどの時間は父と母へのお説教だった。

毎晩、毎晩、おじいちゃんのお説教を聞きながら夕食を食べる。

祖父は外面が良くて、嫁に行った娘の家族がその中に入ると一変してとても楽しそうに話を始める。

叔母家族が来るのがどれほど嬉しかったことか!

祖父の嫌な言葉の数々を聞かなくていいのだから!!

今ならこれはパワハラだと思う。

でも、そこで祖父が悪いということにならなくて、、、

父は黙って祖父の話を聞いていた。

母は反発することもあって口を出すけど、いつも祖父の方がもっと酷くて、母が言い返した倍で言い返されていた。

祖母は常に傍観者だった。

小さなころは、穏やかな祖母が大好きだった。

大きな声で怒らない父が大好きだった。

母は怖くて、祖父は私には優しかったけど、やっぱり怖かった。

家庭は豊かで習い事もさせてもらったし、ご飯だっていつでもたくさん出てきた。

母の躾けは結構厳しかったと思うけど、それでも体罰を受けるわけでもなく、年に1度は4人だけで旅行に行ったりして普通だと思ってきた。

怒りや憎しみを愛だと信じてきた

祖父の態度があまりにも叔母と母とで違うように感じて、祖母にそっと聞いたことがある。

「おじいちゃんは、お母さんのこと嫌いなの?」

あまり怒らない祖母がその時は慌てた様子で「そんなこと言うもんじゃない」と言ったのを覚えている。

私は祖父の子供で一番祖父に似てるのは母だと感じていた。

父も母も祖父に酷く扱われているのに、私たち子供に「おじいちゃんはすごく立派な人なんだ」と説明していた。

それと同時に「高圧的」「外面がいい」「人の嫌な部分しか見ない」と祖父のことを非難していた。

母は私が祖父のことを悪く言うのを嫌がったし、他人が祖父のことをけなすのを怒っていた。

あんなに酷い扱いを受けてるのにお母さんはなんでおじいちゃんをあんなに庇うんだろうと思っていた。

私には本当に祖父が母を愛しているようには見えなかった。実の娘なのに、、、

思春期になり、私の考えは少し変わった。

「自分の嫌な部分が見せれるぐらい、祖父は母を信頼しているし、祖父は家族に甘えているんだ」と。

愛の反対は無関心と言うけれど、愛と相いれないと思える憎しみとか怒りが同時に存在するのかもしれないと、そんな風に考えるようになった。

 

思春期の頃には、私は私の心が分からなくなっていたと思う。

私自身も母が怖いと同時に母が大好きで、父と母が可哀そうだと思っていた。

家庭内で何かを感じるたびに、「それは違う。そんなこと感じたらダメだ」という声が頭の中でかかる。

  • 大好きなお母さん→祖父が母に向かって「お前はダメだ。情けない」を連発
  • 大好きなお父さん→祖父が父に向って「どうして出来ないんだ。お前はダメだ」を連発
  • おじいちゃん、お母さんとお父さんをいじめないで→祖母が「おじいちゃんはお父さんとお母さんの為を思って言ってることだから、これは愛情なのよ」と私にはいじめてるように見える行為を愛情だと言われる。
  • 父と母が可哀そう→テレビのコメンテーターが人の不幸にかわいそうと言っているのを見て父と母が「誰にも可哀そうかどうかなんてわからないのに、勝手な意見だ」と誰かをかわいそうと思うことも否定された。

私は直接何かを否定されることは少なかったと思うけど、自分の思いを状況や家族の意見によって否定され続けてきた。

そのうち、自分の本当の心の声は聞こえなくなっていたと思う。

そもそも怒ることが愛情なんだと、祖父の態度と、祖母の意見と、父と母が黙って聞くことで刷り込まれたように思う。

そして、これが普通の家庭なんだと。

私の心は「普通の家族」という幻想によって支配された。

怒る母

「普通の家族」幻想から抜け出すまで

今思えば生きづらさはずっと感じていた。

物心ついた時から、もしかしたらその前から。

私は不倫の経験がある。

不倫した側だ。

その男性のことを宗教の教祖のように思っていたと思う。

彼の言うことは絶対!みたいなね。

そこから抜け出すのが本当に大変だった。

不倫から抜け出して、私は生きづらさを意識し始めた。27歳の時だ。

自己啓発本にハマり、何十冊も読み漁った。

怒りが大事なんだと30歳の時に読んでいた本で認識した。

でも、私には怒りが無かった。いや、怒りを出すことができなかった。

それでも、自分なりに自分と向き合うようになった。

2010年に出会ったのが、片山太郎。

彼が条件反射制御法やトラウマの暴露療法などからK’sメソッドの原型を編み出した時、私は彼と結婚していた。

自分が生きづらい人間であることは自覚していたから、率先して彼のメソッドを試させてもらった。

自分の中の怒りを自覚したのは子育てだった。

自分ではコントロールできない怒りが子どもに対して膨れ上がった。

1人目が生まれ、二人目が生まれるまで、いや、二人目が生まれて、子供が二人になった時が一番きつかったかもしれない。

まだK’sセラピールームも立ち上がっていない頃から、太郎さんのメソッドを試し、自分と向き合い続けてきた。

それから、K’sセラピールームでずっと扱っていた、幼少期の家族関係。

上述したように、私の家族は機能不全家族だった。

でも、本当に最近になるまで、心の中で否定していた。

言葉として分かっていても、心が否定する状態だった。

結局、家族が原因と感じつつも認めるまでに8年以上の月日が経ってしまった。

なぜ、そんなに時間がかかったのか。

それは、私が「普通の家族」という幻想に深くハマっていたからだった。

原家族への怒りの放出が肝だった

去年の秋だったと思う。

怒りを体を使って表現した。

今まで感じたことなない怒りが腹の底から湧き上がってくるのを感じた。

それから、一気に目が覚めていった。

私は自分が愛されていなかったと知ることが恐かったのだと認め、

母も父も祖父の方を向いていて、私のことなど見てくれていなかったことに気付いた。

昔、母に勇気をだして「私のこと好き?」と聞いたことがある。

返事は「そんなの家族なんだから当たり前でしょ。言葉に出して言うもんじゃない」だった。

母の愛情表現は怒ることなんだろう。だって笑いかけられたことなんて数えるくらいしかないし、母の笑顔なんてレア中のレアだったから。

でも今、私は愛情が怒ることじゃないことを知っている。私にとっての愛情は頭を撫でることで、話を聞くことで、笑って手をつなぐことで、「大好きだよ」「愛してるよ」と伝えることだ。

怒りとして「なんでもっと私のこと見てくれなかったの」「貧しくてもいいから、おじいちゃんのところから逃げて家族4人で暮らしたかったよ」と出てきた。

してほしかった愛情表現をしてもらえなかったことは怒りにつながるんだと思った。

もっと愛してほしかったと怒りが出せた時、本当の家族、愛情のあふれた家族の形がやっと見えてきた。

愛情のあふれた家族へ

今、ウチの家族が世界一素晴らしい家族とは胸を張って言えない。

それでも、私が幼い時に感じていた「もっと愛して」という同じ思いを子供たちにさせていたことを自覚して、少しずつ変わってきた。

子供のことが好きな気持ちと同時に「この子たちは自由でいいな」と子供を羨ましく思ってきた。

勿論、二人目を産んで、育てる中で、しんどくてしんどくて憎悪に近い感情が溢れる瞬間もあった。

自分の子供なのに、、、

それが、自分の元の家族が機能不全家族であると認め、腹の底から寂しさと怒りを出した結果、今は憎悪に近い怒りはなくなった。

8年かけてちょっとずつ変わってきた。

怒りが悪いわけじゃない。

誰だって、怒ることはある。

それが正常な怒りなら、その時で終わるし。その怒りの瞬間を過ぎれば問題ではなくなる。

怒っても家族だから、すぐに仲直りできるのだ。

私と子供たちもそうだし、子供同士もそうだ。

そして怒りより、それ以上の目一杯の愛情を表現して伝える。

子供たちも、愛情がほしい時は「ギュッとして」「ママ私のこと好き?」と言ってくる。子供たちは以前から、ずっとそう表現してくれていたのだ。

やっと、私がそれを受け入れることが出来るようになった。

実のところ、5年前は子供たちの「ママ大好き!」という言葉さえ、受け取れず「ハイハイ(あ~、めんどくさいな)」と思うことがあった。

今は、「ママ大好き!」に対してギュッとして「ママも大好きだよ」と返している。自然に。

私の母は「家族なんだから言わなくても分かるでしょ。そんなの言うものじゃない」と言っていた。

これが、私の中で、母の呪縛から離れられてきた証拠なのだと思う。

愛情はすぐそこにあったのに、気づけなかった。受け取れていなかったのだ。

ずっと、私は幼少期の家族関係を必死で守っていたのだ。

もう守るべき過去の家族は私の中にいない。

私はこれからの人生を愛情のあふれる家庭で過ごしていきたいと思う。

抱っこ

 

片山陽子(片山太郎の嫁)著

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