共依存は良くない人間関係
共依存の話をすると「依存の何が悪いのか」という人がいたり。
「娘が許せない」という母のカウンセリングをしていて、共依存の話をすると「私は娘に依存していない。早く娘と離れたいだけです」と言われたり(でも、結局離れられないのですが)。
どうも、共依存というものを良い関係と思っていらっしゃる方がおられるようで、なかなか伝え方が難しいところです。
依存というものがどういうものか説明すると、ギャンブル依存の人が借金を抱え「これで出ないと人生終わりだ」とか思いつつ、苦しみながらパチンコを打っている。
普通の人からみたら簡単に「苦しいなら、やめたらいいのに」と思ってしまうところですが。
パチンコで苦しんでいる。でも、やめられないというのがギャンブル依存という病なのです。
共依存の方も同じで、DVを受けている、モラハラする彼と一緒にいるとか、GPSでいつも監視されているとか、不倫関係を続けてしまうとか。そして、そういった関係がとても苦しいと言っている。普通の人であれば「早く別れて違うパートナーを探したらいいのに‥」と思うところだが、別れられない。
一緒に居ることが苦しい。でも、離れられない・別れられないというのが共依存であり、共依存の方の苦しみであると言えるのです。
それは、人間関係の在り方としては、決して良い関係とは言えないでしょう。
共依存関係は支配・被支配の関係となる
そもそも、共依存という言葉はアルコール依存症家庭で生まれた言葉です。
例えば、アルコール依存症家族のテンプレのようなやり取りだと、
酒飲み夫:「おいっ、酒を出せ!」
共依存妻:「お願いだから、もう、それ以上飲まないで。体を壊したらどうするの?」
酒飲み夫:「うるせえ!俺の金で酒を飲んで何が悪い。早く酒を出せ!」
みたいなやり取りがテンプレでしょう。
このような関係ですから、共依存関係は支配・被支配の関係。主従の関係となってしまっていることが多いです。
「共依存」とは「共に依存」ですから、実は、支配側も依存してしまっているのです。
そもそも、上記のようなやり取りも、酒飲み夫は自分でお酒を出せばいいし。自分にとって大切な人である妻を怒鳴って傷つけるということは、決して自分自身にとってハッピーなことではないでしょうから。
支配する側も依存していると考えるのが自然でしょう。
ただし、支配・被支配の関係であるなら、被支配側の方が「自分は共依存である」と自覚することができやすいと言えます。なぜなら、常日頃、苦しくなるのを耐えたり、我慢を強いられているのは被支配の側だからです。
反対に、支配側は「自分がいないと何もできない。自分が支えてやっている」ぐらいに思っていて、大切なパートナーを傷つけてしまっているという自覚もしにくく、もちろん共依存であるということを自覚することが難しいと言えます。
典型的な共依存のやり取りにあるように、支配される側も心配という形で相手をコントロールしたり、怒られても怒鳴られても近寄っていくので、苦しい人間関係だなと思います。
最初は、好き同士で出会ったのでしょうが、付き合う期間が長くなるにつれ、あるいは結婚という形のタイミングで共依存関係が進行していき、いつの間にか支配・被支配の関係にまでなってしまうことも多いでしょう。
過敏な妻と、鈍感な夫
上記では、典型的な共依存の支配・被支配の関係について書きましたが。
共依存となっている人たち、すべて支配・被支配の関係か?と問われたら、それだと少し雑駁すぎるので、もう少し詳しく述べていきたいなと思います。
共依存は人への依存です。人へのとらわれです。
頭の中はいつも特定の人のことばかり。
そう考えれば、片想いとか、ストーカーも苦しければ依存であると言えますが、一方的な片想いは「共に」ではありませんから。今回は割愛します。
カウンセリングに来られる方は、女性(妻)の方が多いのですが。
当然、苦しい状態でこられます。
カウンセリングの中で楽になって来ると、今度は「私の夫もオカシイのでみてください」と言われることがあります。
奥さんの方は、カウンセリング中、延々と話して泣いてという感じでしたが。ご主人の方はというと、今度は逆に何も話さない。話さないというか、話せないという感じですね。
自分の感じていることや、考えが話せない。記憶も曖昧だったり、過去の記憶も非常に薄い方もおられたり。
そんな感じで、共依存関係のパートナーというのは、過敏な妻と、鈍感な夫というようなペアというのは典型としてあるようです。
愛着障害という言葉がありますが、愛情不足で育った人を大別すると、不安定型(過敏な妻)、回避型(鈍感な夫)という二つのタイプに分かれるようです。
そのタイプの違うもの同士がくっつきやすいという傾向にはあるようです。
当然、不安定型同士が結婚して、罵り合いのケンカをいつもしているということもあるでしょうし。
反面、回避型同士が結婚して、夫婦であるにもかかわらず、お互いが他人のように交流をせず暮らしているということもあるでしょう。
このように、ひと言に共依存関係といっても、シンプルに支配・被支配という関係のみならず、問題のある共依存関係は3つぐらいのパターンには分かれます。
愛着障害、寂しく育ったもの同士、引き寄せあうのかもしれません。
共依存関係の行きつく先
共依存関係が進行していったらどうなっていくのでしょうか?
長らく共依存関係を続けていたら、どのようなことになっていくのかを話していきます。
共依存が進行していくと、自己防衛、自己正当化のため「傷つけあうのが恋愛だ。喧嘩するほど仲がいいものだ」とか「夫婦とは、家族とはそういうものだ」などと言うようになっていくでしょう。
そんなふたりの姿に周囲も呆れるようになったり。
苦しくて、周囲に相談しても「別れたら」とか「耐えないといけないよ。支えてあげないと」などの一般的なアドバイスを言われ「分かってもらえない」と、さらに孤立していったりします。このように共依存者たちが社会から孤立していく様をカプセリングといったりします。
また、苦しみながら離れられないという関係を続けていると、支配・被支配を通り越し、被害・加害関係にまで至ってしまうケースも多いです。
夫婦関係の共依存では、DVから警察沙汰になるとか、あるいはモラハラによってパートナーが精神的に病んでしまったり。
その結果、離婚に至ってしまったり。
親子関係では、親の介護をするようになって虐待をするようになってしまったり。
子供が親に依存してきた結果、親が亡くなることで絶望し、うつ病になってしまったり。
本来、愛しあうべき関係である恋人同士、夫婦、あるいは親子で、束縛したり、憎しみ合うというのは悲しいことですね。
共依存の根っこには原家族関係が影響している
「なぜ、こんなに寂しくて、人に依存しないと生きていけないのか?」
共依存になる原因には寂しさがあります。
寂しい者同士は惹かれあうのだと思います。
そして、気づけば共依存関係となってしまうのでしょう。
実は、この寂しさというのが、原家族関係からきていることが多いのです。
愛着障害という言葉がありますが、子供の時に適切に愛されてこないと、大人になり強い寂しさを抱えて生きるようになるのです。
しかし、子供のころシンプルに寂しかったというだけなら、そこまで問題のある共依存関係にはなりにくいです。
この世界で「寂しい」と言えば、きっと誰かが愛情をくれるでしょうから。
しかし、問題はそうシンプルではありません。
例えば、問題のある親元で育ってしまうと、大人になって親と類似した問題のあるパートナーに惹かれてしまい、そして執着するようになっていくことがあります。
これが、共依存という不幸な人間関係に固着してしまう主な原因であることが多いです。
例えば、親が暴力を振るう人だった。そして大人になり、選んだパートナーが暴力を振るう人だったとか。
小さい時から親が怖かった。だから、今は職場の怖い上司に嫌われないよう、ご機嫌をとっているとか。
小さい時、親が心身ともに弱くて、それを「何とかしないと」と思って生きてきた。そして、今は心身ともに弱いパートナーを選んで、その心配や、お世話を一生懸命しているとか。
他にも、両親の共依存的コミュニケーションを見てきて、それが普通の夫婦だと思い、大人になって大切なパートナーにモラハラ、暴力を振るっている…
このように、問題のある親元、家庭環境で育ったといいうことが、時を経て、共依存という形を成して顕現するという、そのようなことが起こるのです。
注:詳しくは「共依存の始まりは親子関係にある」をご覧ください。
共依存からの回復は自立すること
共依存からの回復するためには、どうすればいいのでしょう。
あるいは、どうなればいいのだろうか?
共依存から回復するためには、そのパートナーから離れる、あるいは別れるしかないとお思いの人もいるかもしれませんが、はたしてそうでしょうか?
今の共依存相手から離れてもまた新たなパートナーと共依存関係になる場合が多い
DVを振るう旦那から、逃げて、離婚調停・裁判を起こして、やっと離婚した。そして、次に付き合った男性は、また暴力を振るう人だった、とか。
いつも既婚者とばかり付き合って「なんで、わたしは幸せにならないのだろう」などと言っている人がいる。
結局、共依存の原因が原家族関係であるなら、パートナーと苦しんで、必死で別れても、結局、同じような人を好きになって、同じような人間関係を引き当てて、あるいは自分から引き寄せて、また共依存関係を繰り返してしまっているということがあります。
もう共依存になっている人は、やはり原家族である、親との関係と向き合った方がよいでしょう。
詳しくはこちらをご覧ください。→共依存の始まりは親子関係にある
自分が共依存になりやすいと気付いている人の場合
あるいは、そういうことも分かったうえで、共依存になるのが怖いと、恋愛や結婚に二の足を踏んでいる人がいます。そういう方は、相当、注意をしてほしいところです。
つまり、親と類似した人をパートナーに選ばないことです。
一緒に居て安心できるパートナーを選ぶこと、そのことで、もしかすると良い依存関係を作ることができ、幸せになれるかもしれません。
共依存から回復した後
共依存から回復した人が、必ずしも別れるかというと、そうとは限りません。
DVを振るうような、自分を傷つける人は論外かもしれません。そういうパートナーの場合、共依存から回復すると、まったく冷めてしまって、何の未練もなく別れる人は多いです。
しかし、中には、50代の夫婦の共依存であるとか。別れるという形も経済的に、もはや難しい方もおられます。
そういった方は「しょうがないから一緒に居てあげてもいいかな」ぐらいの感じで落ち着く人もいます。
共依存から回復して、ちゃんと自立できた結果、別れるであるとか、その先も一緒に居られる関係で落ち着くとか、そういった形で終息する感じです。
自分を愛するためにできること
共依存からの回復には、自分を愛して、寂しさを治すことです。
精神的に自立することです。
そのための方法はカウンセリング、心理療法などさまざまありますが。
今回は一つ、共依存の回復のため、自助グループという存在を知っておきましょう。
CoDA(コーダ)という共依存が回復していくための自助グループがあります。
共依存者同士が共に分かち合い、適切な依存関係を結べられる場所だと思います。(注:CoDAはK’sセラピールームの関連施設ではございません)
最近は、オンラインでの自助グループも広がりを見せています。オンラインであれば、共依存も依存しにくいのかもしれません。
共依存は回復ができます。
一番の理想は、共依存関係の二人が共に回復していくことですが。
それが、難しければ苦しんでいる、どちらか一方が回復のための一歩を踏み出せばいいのです。
まとめ
- 共依存の苦しみは、一緒に居ることが苦しい。でも、離れられない・別れられないということ。
- 共依存関係の一番多いパターンは不安定型と回避型のカップルで、支配・被支配の関係性に陥りやすい。
- 共依存の行き着く先、被害・加害関係にまで至ってしまうケースも多い。
- 共依存の原因は原家族にある。原家族関係での寂しさや、原家族関係が大きく影響している。
- 共依存からの回復には自分を愛し寂しさを改善すること。心理療法や自助グループなどで回復していくこと。