寂しさゆえに離れたくても離れられない関係
さて、前回、寂しい人は寂しさを埋める為に人に依存するということを書いたと思います。
寂しいと、人を上手く愛せないんだよということも書きましたね。
そして、運命的にも、寂しいもの同士が出会った時に共依存関係になるんだよという話でしたね。
前回ブログ→寂しいから誰かに依存して、いつの間にか共依存関係となるのです。
今、カップルで、夫婦でいがみ合っている人。
でもね、あなた自身がその人を選んだという事を忘れないでくださいね(強制的な結婚を除いてね)。
まとめると、寂しい人は上手く人を愛せないから、最後は、いがみ合うようになる場合が多いですが。憎み、恨みながら別れることができないという、共依存関係になるわけです。
これも、寂しさゆえと言えます。
不思議ですね。憎しみがあるぐらいなら別れた方がいいんですけどね。別れられないんですよね。
え?「夫婦ってそういうものだ!」「家族ってそういうもんだ!」ですって?
「耐えることが夫婦で、家族で、親子だ!」ですって?
うんうん。そうですね。
僕も、昔、患者さんにそんなことを言われて怒られて来たものです。
「お前は、結婚してないから、家族を知らないんだ!!」ってね。
ウチのお父さんは、お酒を飲んで、お母さんを殴るもんだから。ウチのお母さんも、子供の頃から、よく僕に、
「お父さんと別れようと思うんじゃけど、ついてきて来てくれるか?」
と聞かされたものです。・・・でも、別れなかった。
何があっても別れない。夫婦の愛、絆っていうのは素晴らしいですね!
・・って、そんなこと僕が思うわけないじゃないですか・・(汗)。
ずっと、とっとと別れろと思ってきましたよ。
別れる、別れるって嘘ばっかりじゃねえか!って憎んできましたよ。
僕は、子供の立場ですが、そう思ってきました。あくまでも、僕はね(笑)。
共依存の行き着く先
僕は、共依存関係の行き着く先は、殺し合いだと思っています。
これは、大げさでもなんでもなくてね。
みなさん、ニュースや新聞で、よく目にすると思います。夫婦で殺し合い、親子で殺し合いです。
そこまでいかなくても、夫婦で、親子で、DV(ドメスティックバイオレンス)、モラハラ(モラルハラスメント)といった暴力行為にいたっている関係なんて、腐るほどあるのではないですか?
「相手を殺す(殺される)ぐらいなら、縁を切ったらいいのに」って普通はみんな思うのですがね。
それさえ、できなくなってしまうんですね。
人間関係の依存、共依存。家族、親子、夫婦関係って怖いんですよ・・。
共依存は良かったことに執着した結果
でも、覚えておいて欲しいのは、共依存というものは良かったことが忘れられないからなるのです。
良かったことが忘れられないから執着するのです。
だからこそ、これを依存と呼ぶのです。
DVされて何が良かったこと!?などと思うかもしれませんが。そこには、絶対に良かったことがあるのです。
それこそ、彼(彼女)に命を救われたぐらいの思いがそこにあるのです。
彼(彼女)によって永遠の孤独が埋まった。救われたというような思いです。
それこそが、別れたくても別れられないという、依存、執着を呼ぶのです。
また、そこまでの思いはなくても。人を支配するというのは、もの凄く気持ちがいいのです。
かつて僕は、師匠である精神科医に、こんなことを聞きました。
「アルコール依存症の人は、アルコールに対する欲求が肥大化して、アルコール依存症になる。では、共依存家族は、どんな欲求があって共依存家族になるのか?」とたずねました。
師匠は「それは、支配欲である」と応えてくれました。
共依存関係も、分かりやすく主従の関係となってしまっている人たちも多くいます。
「支配欲」そう考えると、この歪んだ関係も少しは理解ができるのかもしれません。
寂しさと、支配欲が合わさったものが共依存なのかもしれませんね。
まとめ
まとめると、共依存関係になるのは、
良かった思い出(支配欲も良かったこと)が忘れられないからです。
だから傷つけ合いながら、離れられないという依存関係になるのです。
そのことを理解せず、共依存関係を回復に導くことはできないのです。
そして、僕が、家族というものを良くないもののように書いているように見えるかもしれませんが、あくまでも共依存関係とか共依存家族がよくないということですから勘違いしないようにしましょうね。