人に依存するということは、離れたくても離れられないということです。
最終的に、憎しみあいながらも離れられなくなります。
今回は共依存から回復するということがどういうことか書いていきたいと思います。
共依存から回復するということは、それぞれが自立するということです。
答えはシンプルですね(笑)。
共依存の関係性
それができないから困ってるんだよ~って言わないでね。
それができない人の為に僕がいるので。考えていることができるなら、みんな苦労しないんですよ。
それができたら、僕の存在理由がなくなるんですよ(泣)。
それで、今回の話が終わるわけにもいかないので、もう少し詳しく書いていきましょうか。
ちょっと共依存関係といってもピンときていない人もいるかもしれないので補足をすると。
人によりますが、共依存関係を支え合いとか、愛しているという表現を使うこともありますが。
そういうハッピーな人は置いといて(汗)。
立場が違えば思いも違うということもあるのですよ。
夫は支えているつもり(やっていることはモラハラ)、でも妻はそんな夫に苦しんでいるっていうことがあるのです。
母親は心配しているつもり(やっていることは過干渉)、でも子供はそんな母親に辟易としているとかね。
そんな、人間関係は山ほどありますね。上司と部下とか・・。
それなら、離れればいいのに、離れられない。これを共依存関係というわけです。
一見すると、加害、被害関係のように理解してしまいがちですが。
みんな勘違いをしてしまいますね。だからどちらかの一方的な味方になってしまう・・。
物事はそんなシンプルではないのです。あくまでも、共依存。ともにです。
どちらも響きあっていると考えて下さい。
親子で、夫婦で、悪く響きあっているのですね。
せっかく、愛情もあるのでしょうが、いつの間にやら憎しみに変わっている・・。
愛し合い、支えあうべき人々が憎しみあう。悲しいですね。
そして、別れることもできなければ・・さらなる悲劇が・・。というわけです。
補足というか、また、しっかりと同じ話をしてしまいましたね(汗)。
共依存からの回復のためにまずは自分が自立する
それで、今回はそれぞれの自立こそが回復であるという話でしたね。
過去に、自立とは何か?みたいな話をしたと思いますが、自立とは精神的自立のことを指します。
社会的には共生ですが、そういうメンドくさい話をすると、もう、今回、何を目的に書いているのか分かんなくなってきますね・・(汗)。
○○のためにとかね。○○のせいとか。○○が悪いとか。○○がこう言ったからとか。
これらが、自立していない人がよく言うシリーズです。
自分のためがない。まず自分が何をしたいかで考えるべきなのに・・。
それが、自立した大人の人間というものでしょう。違いますか?
っていう話をすると「それは、自分勝手というものじゃないですか!」と怒る人もいますが・・。
じゃあ、あなたは自分勝手に生きて下さいって言われたら、自分勝手に生きれますか?
自分勝手にも生きれないから、人間関係に悩んでるんじゃないですか?因果なものですね・・。
そもそも、自分勝手と自立も分からない方も多いので、困ったものなのですが・・。
では、もう少し。心配でも、懇願でも、干渉でも、説教でも、支配でも。
これらの関わりは、すべて愛情ではありません。
これらは、人を子供あつかいしたかかわりかたです。
自立をさせないかかわりと言えば分かりやすいのではないですか?
これを、共依存関係にある人は、したり、されたりしているのではないでしょうか?
これを、やめるということです。
まず自分です。まず自分が自立してください。自分軸を作ってください。
その上でなければ、誰も愛せないのですから・・。