愛とイネイブリング

イネイブリングとは

イネイブルは「~をすることを助ける」という意味です。
簡単に言うと尻拭いをするという意味です。

イネイブリングもやはり、依存症の中で有名な言葉です。
最近は共依存っていう言葉は、エビデンス(化学的根拠)がないと言われていて、もっぱら、このイネイブリングっていう言葉を使って依存症家族を表現することが多くなってきています。

依存症の場合、イネイブリングとは具体的にどういった行動を言うのか書いてみたいと思います。

アルコール依存症の夫が、酔っ払って帰ってきた。
でも、玄関先で、酔いつぶれてしまった。妻は、こんなところで寝てしまったら、風邪をひいてしまうわと、子供たちを呼んで夫を寝室へ運び、パジャマに着替えさせて、寝かしつけました。
次の日、夫は目が覚めて思うわけです。
「昨夜の記憶は曖昧だけど、きちんとパジャマに着替えて寝てたから、誰にも迷惑かけてないだろう」と。
そして、その日も酒を飲むのです。

依存症の中で、家族はイネイブリングをしないようにと教育を受けるわけです。

それは、依存症者の本人が自分の問題に気づかないからです。

図らずも、その妨げに家族が、妻がなってしまっているというワケです。困りましたね。

でも、こんなことは、別に依存症の中だけでなく、人間関係のいたるところであるのではないでしょうか?
どうですか?自分がイネイブラー(イネイブリングする人)ではないと言いきれますか?

イネイブリングはしているかもしれないが、相手は依存症じゃないよと言われるかもしれませんが、こういう言い方をしたらどうですか?

イネイブリングをすることで自立を妨げる関係。

こういった関係が端的に現れるのが、親子関係。とりわけ母子関係ではありませんか?
手を出し、口を出し、甘やかし、子供の自立を妨げる母親です。あなたの周りにも、きっといるはずです。

そして、そういった親子は、それを「愛」と呼びます。
どうですか?イネイブリングは愛ですか?
愛のような、愛じゃないような。モヤっとしますか?

親子関係におけるイネイブリング

共依存は束縛的な愛と言える、イネイブリングは甘やかしの愛と言えるということ

もう少し補足すると、共依存は支配的なので、比較的、愛ではないなと理解しやすいのですが。イネイブリング、甘やかしの愛は親も子も気づかない。指摘したら、怒るので、伝え方が非常に難しく、より、厄介です(汗)。

僕の家も父親は仕事と酒で関心がなく、母親は完全なイネイブラー(イネイブリングする人)ですが。
僕自身も、それが愛情だと思っていた時期がありましたから。
なかなか、この愛の呪縛ともいうべきものは厄介です(汗)

イネイブリングは真綿のような愛です。
親がイネイブラーであるなら、子供の生きる力を奪います。

僕のところには、なぜか保育士をされている方がたくさん来ますが、そういう親が最近増えてきたという話をよく聞きます。
コケて、擦り傷ができてしまい、そのことを保護者に怒られるとか。やっと自力でたった子供にこけないように、親が、ずっとついているとか。

いやぁ~保育士も大変でしょうけど、親も大変でしょうね(汗)。
我が子が、怪我をするのを恐れての行動でしょうけど、一言だけ、言わせてください。「きりがないですよ」。
ひょっとして、ゆとり世代や引きこもりもイネイブリング、真綿のような愛の産物ですかね(汗)。
イネイブリング行動をやめるということは、「怪我をすることを覚悟しましょう」ということかもしれませんね。

依存症の場合はイネイブリングをやめるということは、死ぬこと、警察に捕まることなどを覚悟するということです。
手を出すことよりも、出さないことのほうが、よっぽど苦しいことかもしれませんね。

親子で読書

良いイネイブリングと悪いイネイブリング

ある研修会において、依存症の回復にとって、イネイブリングが妨げになるのなら、病院や医療者はなんの為にいるんですか?
との質問に対して、

「病院や医療者がおこなう行為はすべて、イネイブリングである」
胸に迫る、良いセリフです(笑)。

でも、訳がわからなくなりましたね(汗)。
イネイブリング(尻拭い、甘やかし)は良くないという話をしていたのに。
医療はすべて、イネイブリングであると師匠は言った。

人への支援はすべてイネイブリング(尻拭い)である。

それは、医療も、看護も、保育も、上司が部下に対するかかわりも、親が子に対するかかわりも同じだと思います。
では、イネイブリングをしなかったら良いかかわりなのか、という話になりますね。

それについても、師匠の言葉を借りると「仕方がないとか、ほっとこうという考えは最悪である」と言っていました。
心に染みわたりますね(笑)。

そもそも、イネイブリングとは、なぜおこるのですか?
それは、その人によくなってもらいたいからではないでしょうか。
じゃあ、イネイブリングをしないというのは、そもそも興味がないか、興味を失ったかになるので、まあ、最悪ですね(汗)。

そこにあるのは、放置、ほったらかしですからね。
イネイブリングをするということには、そこに、すでに愛があるんです。

僕は、僕ほどのイネイブラーはいないんじゃないかと思うぐらい、患者さんやクライエントとかかわっています。
まあ、愛の塊です(笑)。でも、それは、お金にならないので、良し悪しですが(汗)。

さて、イネイブリングは、過保護、甘やかしです。
でも、僕はしっかりイネイブリングする。

そこには、良いイネイブリングと、悪いイネイブリングある、そう考えてください。

何が良くて、何が悪いか。言い換えるならば

自立を促しているか、あるいは、自立を妨げているか、そう言い換えれるわけです。

どうですか?あなたのかかわりは、自立を促していますか、それとも、妨げていますか?

依存の反対は自立です。
依存症のかかわりは自立を促すかかわりでなければなりません。
でも、このことに気づいていない人があまりにも多いような気がします。

依存症にかかわる医療者、支援者、家族の方々どうですか?
当然、それ以外の人々にも言えますよ。教育者、保護者、会社の経営者や上司、いかがでしょうか?

昔から、依存症のかかわりは究極のかかわりであると言われています。そこに普遍的なかかわりがあるのです。

家族のこと、親と子、子と親、それらのことを書いてきました。
この問題は、繊細なので、誤解の無いように、慎重に書いてきたつもりです。

病院のイラスト

イネイブリングの成れの果て

さて、共依存の成れの果ては、傷つけ合い、殺し合い。イネイブリングの成れの果ては、引きこもり、ニート、不登校、結婚しようとしない・・・など。
どちらにしても、家族って怖いですね(汗)。

しかし、それでも僕は、子を愛していない親はいないと思っています。
特に腹を痛めて産んだ母は、我が子が憎い人はいないはずです。

楽観主義ですか?
確かに、子殺しをする親、母親はいますよ。
しかし、それでも、そこに、かすかな愛はあると思っています。

そこには、愛情をはるかに超える怒り、憎しみがあるのかもしれない。
それか、我が子を愛するということが分からない、愛し方が分からないのではないだろうか。

共依存の愛は、イネイグリングの愛は、伝えている側は「これは愛だ」と思っています。
でも、問題は受けとる側がどう思うかではないでしょうか?

これは「しつけだ」と殴って子供を育てる親。
この前も、しつけだと我が子を山中に置き去りにした親がいましたね。
さて、それが、愛であると子供に伝わっていると思いますか?

やっかいなのはイネイブリングです。
イネイブリングは受け取る側も「これは愛だ」と思っているから、より問題が深刻な場合がありますね。

問題の本質は、親の愛情が伝わっているのか?です。
そして、親の愛はなんの為の愛なのか?です。親は子供にどうなってほしいと願っているのでしょうか?

それらがきちんと伝わっていないことこそが問題なのではないでしょうか。

親から子へ、先生から生徒へ、上司から部下へ。その思いは、愛は、きちんと伝わっていますか?

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