愛情さえ分からない人たち
「愛とは・・愛情とは・・」みたいな話を書いていたら、「何が愛だ。綺麗事を言うな」と、そのように思う人も少なからずいるんだろうなあ・・と思います。
僕も、その気持ちはよく分かります。
僕も、10代、20代と暗い青春を送ってきたので・・。
「人間なんて大嫌い。世界よ滅べ」などと思っていましたので・・。
その頃の自分に愛とは・・なんて話をしたら、せせら笑われただろうなと思います。
しょうがないですよね・・そもそも、愛着障害で育ってきたワケですから・・愛情がどんなものか、愛情が何か分からないという人ばかりなのかもしれません。
それでも、このブログを読んでいる人も、今まで生きてこれたのですから・・・。
誰かの、何かの愛情をもらって生きてきたはずなんですけどね・・・
愛着障害で育ってきた人たちは、本来なら愛してくれる人たちから、うまく愛されなかったワケですから、根っこには人に対する不信感があります。
その結果、「何が愛だ」というセリフが出てくるのも当然かなと思います。
人の愛情をうまく受け取れない・・愛情の受け皿が壊れているのです。
でも、少なくとも、僕と話をして、僕とのカウンセリングで涙が流れた人は愛情を知っている人だと思います。
人間の感情というものが分かっている人なのです。それを、誰かから、何かから学んだ過去があるはずなのです。
それは、愛されていないと思っているのに、実は愛情を感じとれているのです。
苦しい人は本当の愛を知らないのかも
心配して、尽くして、自分なりに精一杯愛してきた・・・。
それなのに、怒られたり、憎まれたり、裏切られたり・・・。
なぜ、こんな食い違いが生じるのでしょうか?
それは、真に愛せていないからです。
しかし、なぜうまく愛せないのでしょう。
なぜ、愛が伝わらないのでしょう。
それは、愛し方を知らないから、教えてもらってきてないからではないでしょうか。
愛を教えてくれるのは、愛の教科書は、親です。親との関係です。
本来は、親子関係の中で自然と愛情を与えられ、教えてもらうものなのです。
人がうまく愛せない理由は、愛されて育ってきていないからではないでしょうか。
でも、僕は、大人になれば人はみな愛するということを学んでいると思っています。
だって、世の中には、愛の歌も、恋愛ドラマも、ホームドラマも、学校の先生でも、恋人でも、会社の上司でも愛を教えてくれるでしょう。愛は世の中に溢れかえっているのですから。
そのようにできるのなら、そのようにしたらいいのです。
でも、僕のところに来る人たちは、ああいうキレイなものを見て「綺麗事ばかり言いやがって・・」と内心思っている人が多い。
そういう僕も、かつて、そう思っていましたが。分かっていても、できない人ばかりです。
やはり、幼少期から続く親とのかかわりの連鎖というか、呪縛というか・・・。そういうものを断って、愛ある人間になるというのは非常に難しいことなんですよね。
愛とは違う行為
愛を知る前に、愛とは違う行為のことを知りましょう。
愛とは、暴力(虐待、モラハラ、DVも含む)ではないですね。
放任(育児放棄、ネグレクト、ほっとく)でもないですね。
ここらへんは分かりやすいかと思います。
愛とは、心配(干渉、押し付け、支配、コントロール)でもないですね。
「私の気持ちがどうして分からないの・・」みたいな人は、こういうかかわり、愛し方をしている人が多いので要注意です。
愛とは、甘やかしでもないですね。
僕が親子のかかわりで一番厄介で、難しいと感じるのが、この甘やかしです。
甘やかしの厄介さは、甘やかされた人間が生きる力を奪われ、弱いということもありますが・・。
甘やかしの厄介さは、それぞれが、これを「愛」と呼ぶところこそが厄介ですね・・・。
連鎖や呪縛というのなら、甘やかしの呪縛をとることの難しさといったらないですね。
これらが愛ではない行為ということです。
こういうことを伝えると「じゃあ、私は何もしたらいけないんですか!」と怒ってしまう人もいますが。
どうして、そうなっちゃうんでしょうね。放任も愛じゃないって言ってるんですけどね(汗)。
自分を愛するということ
自分を愛せずに、人は愛せませんという話です。
こんなのも、自己啓発系やスピリチュアル系では、さんざん言われていますので、今更感は否めないのですが。
それに、どう考えても、どうやってもそのように出来ないから、僕はカウンセリングや治療をしているので(汗)。
それを、踏まえて、読んで頂ければと思います。K’sセラピールームに来る人は、基本的に人の話をします。
「妻が、浮気をした」「夫が暴力を振るう」「母が分かってくれない」「父は聞く耳を持たない」「子供が自立しない」「腹が立つ」などなど。そして、次にこう言います。
「○○のためにしてきたのに!」
う~ん(汗)。ですね。
妻の、夫の、両親の、子どものためにしてきたのに、裏切られて腹が立つんですね。
いつも、言いますが、あなたの愛は、まったく伝わっていませんね(汗)。
○○のためにやってきた、で、その人を恨むようなら、いったい、何のためにやってきたのでしょうか?
それならば、好きに生きたほうがいいのではないですか?
僕は、いつも「まず、自分を愛してください。自分を愛せないと人は愛せませんよ」と伝えます。
そう伝えると、だいたい「じゃあ、ほっとけと言うんですか!」と怒られますが(汗)。
その通りです。
〇〇のためと言いながら、その人を恨んでいるのなら、ほっといて自分の幸せを求めて好き勝手やったほうが、まだマシです。
それならば、少なくとも1人は幸せになれるからです。
それは、あなたですよ。
あなたは、幸せになれるのではないですか?
それは、極端な言葉ですが、僕が回復の目標として言う自立は自分勝手とも違うということは言っておきます。
でも、我慢して、我慢して、我慢して、生きてきたあなたは、まず、自分。自分のために生きるという、当たり前のことを知らなければいけません。
一体この人生は誰の人生ですか?
あなたは、自分を愛せていますか?
あなたは、何が好きですか?
何をして生きていきたいですか?
人を愛したいのであれば、まず自分を愛してください。
自分が愛ある存在になって下さい。
そうすれば、おのずと、愛されるようになるでしょう。
死がおとずれた時に「私の人生なんだったのかなぁ」と思いながら死ぬことのないよう、精一杯、自分の人生を生きて下さい。
愛するということ
まずはゆっくりと・・・
自分を愛してくれた人。楽しかった出来事。
安心できた場所。
そんなものを思い出して見て欲しいですね・・・
きっと、心に温かい気持ちが広がるのではと思います。
きっと、人はそれを「愛」と呼ぶのではないかと思います。
前述の「愛」が自身の内側に起こる愛。
僕の思う「愛する」ということを形にすると
思いやりとか、やさしさとか。
ありがとうとか、愛しているという言葉。
手をつなぐ、抱きしめるという行為ですかね。
一緒にいて、笑ったり、楽しんだり、どこか行ったり。そんなもんです。
これが、愛です。愛するということです。
そして、愛とは、ただ傍にいることです。
見守るという愛があるのです。
傍にいて、できれば楽しい話をして欲しいですね。
一緒に旅行に行ったり、映画をみたりするのもいいでしょう。
もちろん、押しつけはいけませんよ。そして、無理もしてはいけません。
人のためは人のせいにしてしまう生き方ですから。
さらに、できれば、苦々しい顔をして傍にいるのではなくて、笑顔でいて欲しいものです。
愛とは、愛そうとするものでさえないからです。
愛そうとするのではなく、愛するのでもなく、愛は自然と溢れ出るものなのかもしれません。
できることなら、これを読んだあなたこそが人を愛せれる太陽のような人になっていただけたらと思います。
愛とはそんなものではないかなと僕は思うのですが、みなさんはどう思いますか?