僕は、「さみしさはトラウマだ」とハッキリ言っているのですが・・・。
この表現では、真意がどうもうまく伝わっていなかったのでしょう・・。
「さみしさ」は命の危機
トラウマ(心的外傷)とは命の危機です。
みなさ~ん!さみしい・・・って命の危機なんですよ!
もう少し正確に言うと、あの時のさみしさは命の危機だった。だから、今、寂しくて、寂しくて・・・ということです。
とりわけ、多くは幼少期のさみしさです。
それらは、脳裏に焼き付いているはずです。
なんせトラウマですから。
命の危機・・・何を大袈裟な、と思うでしょう?
こういうことは、他の生命体に置き換えれば理解しやすいのですけどね。
例えば、自然界で、タヌキでも、うさぎでも、幼体が親の庇護もなくポツンといたとします。
さて、1時間、2時間後、どうなっていると思いますか?
そりゃあ食べられるんですよ。
トンビや鷹が飛んできて、蛇が近づいてきて、捕食され死んでしまうのです。
人間だって同じことです。
例えば、幼少期こんなことがあったとします。
母と一緒にお昼寝をしていると・・。母は子供が寝たスキに近所のスーパーに買い物に行きました。
しかし、母が買い物に行ってしばらくして・・。なんと、運の悪いことに子供は目を覚ましてしまいました。
「お母さん!お母さん!」
家中を探してもお母さんはいません。泣いても叫んでもお母さんは帰ってきません。
これは、命の危機なのです。
考えても見てください、子供は○○スーパーに行ったから、あと何分かしたら帰ってくるって分からないんですよ。
ですから死の恐怖ぐらい感じてもおかしくないのです。それが本能でしょう。
人間だって生命体であることに変わりがないのですから。
そう考えるのが、自然ではないでしょうか。
しかし、人間ですから、もう少し情緒的に表現するとしたら。
幼子が、広い家で一人ぼっち。心細くって、寂しくて、不安で、怖くて怖くて・・・という感じでしょうか。だから、その後の人生、寂しくて、不安で、怖がりでという人間になってもおかしくないでしょう?
三つ子の魂百までとはよく言ったものです。
苦しみの原因は親であるみたいなことを言っている人はたくさんいるでしょう。さみしさはトラウマだ、こんなこと言っている人は僕以外にはいないと思います。いたら教えて下さい(笑)。
トラウマは治療出来る
トラウマなのですから、治療したらいいのです。治療できるのです。
トラウマの治療って実は心理療法の中では数少ないエビデンス(治療的根拠)がハッキリしている治療なのです。それは、アメリカの精神医学会でも、イギリスの精神医学会でも、ハッキリ明言しているところです。
トラウマ治療に対しては暴露療法が有効であると書いてあります。そして、その他の心理療法は効果がなく、薬物療法も効果はないと書いてあります。
しかしながら、ここにも問題があって。「トラウマとは・・」って定義づけられているところがあり、トラウマ治療をしているところに「寂しいのでトラウマを取って下さい」と言っても、「甘えるな」と鼻で笑われて終わってしまうでしょう(汗)。
トラウマについて調べると、トラウマとは、災害、戦争、暴力、性的被害とか、そういう精神的ショックを受け、その後遺症を指すとあります。
でもねえ、トラウマ(心的外傷)とは心の傷です。
僕は、心の傷を勝手に他人が定義付けるなよと思ってしまいます。その人が心に傷を負ったと言えば、それはトラウマなんだよって思うわけです。
ともあれ、寂しさはトラウマです。トラウマである限り治療できます。
寂しさを治し、寂しさも、不安も、恐怖もない幸福に満ちた人生を送りましょう。