幼少期のさみしさはトラウマであり、さみしさをそのままにしておくと、生きづらさとなり、生きづらさは雪崩をおこすように、苦しみが積み重なっていくという話でしたね。
そして、その全てがトラウマであるということです。
それでも、家族や出生に問題があったら、みんながみんな、苦しんで生きていくのか?
といったら、それも違うような気がしますね(汗)。
生きづらさを抱え、その中で、うつ病やパニック障害にまで至ってしまうような人には、大きな共通点があります。
我慢という毒
生きづらさを抱え、その中で、うつ病やパニック障害にまで至ってしまうような人の大きな共通点は、
全員、言わずに我慢するタイプであるということです。
なぜ、我慢するのか、それには、いろいろと理由はありますが。
我慢する理由
一番は、日本人の民族性だと思います。
我慢は美しいものだという考えですかね。
日本人らしさというのも、困りものです(笑)
その考えは、立派で否定するつもりはないですが。
それを、親が子供に強いたら、子供はどうなると思いますか?
さらに、さみしい子供にそれを強いたら、子供は愛されるためには、我慢しなくてはならないと思うようになっていくんですね。
いい子と言われて、育ってきた子供も、そうですね。さみしさ + いい子です(汗)。
我慢した結果
我慢は体に毒です。我慢は魂を腐らせます。
我慢した結果は最初に伝えたとおりです。
雪崩をおこすように、苦しみが積み重なっていくということです。
それどころか、周囲に対する、憎しみをためていくようになります。
親や周囲に愛されるために我慢をしたが、そもそも、そんな家庭なので、自分が思うほど愛されることもなく、自分は苦しみ、人は憎くてしょうがなくなっていきます。
そうなってきたら、はたして誰の為の我慢だったのかという話になっていきます。
けっこう決め打ちで書いていますが、僕自身の実体験と、多くの家族や苦しんできた人を見てきた結果です。
ですが、それが、不変的なストーリーでないことも分かっていますよ(笑)。
これだけでは、苦しみの半分も書ききれてないと思います。
共感できる人は、半分でしょう(笑)。
今回の話は、苦しい人の中には、こういった人が多いぐらいに思ってもらえればいいかなと思います。
心は目に見えないコップのようなもの。苦しみが溜まっていくと溢れかえります。
苦しみでも、もっと小さな日常のストレスのようなものも、我慢するタイプの人は、生涯消えない心の傷、トラウマになっていきます。
僕は、心というものをコップに例えて表現することが多いです。
そこに、日常の苦しみや、ストレスというものが、少しずつ、少しずつ淀みのように溜まっていくのをイメージしてください。
そして、溜まったものは、ある日、溢れかえるのです。
それは、人が精神の均衡を保つためにおこなう対処方法かもしれません。
そして、上手く愛されてこなかったものは、最初からこのコップが壊れてしまっているのです。
すぐに、溢れちゃう。もしくは、もうダダ漏れ状態です(笑)。
ともかく、溢れかえった状態を、症状といったり、病気といったりするのかもしれませんが。それは、人それぞれです。
ある人は、ヒドイ肩こりや頭痛として身体が反応するでしょう。
それを、自律神経失調症とか更年期障害とかいう人がいるでしょう。
ある人は、パニック発作をおこしたり、ある人は、布団から出ることや動くことができなくなってしまうでしょう。
それを、パニック障害やうつ病、もしくは引きこもりという人がいるでしょう。
実は、全部、同じ出来事で、人間のストレスやトラウマに対する反応であると考えてください。