苦しさの原因を知ろうとしなければ苦しい人は救えません
何がそんなに苦しいのか・・・
そういう根っこの話、本質の話、塩釜焼の中身の話、苦しさの中身の話をしないと・・苦しい人が楽になっていくことはないと僕は思っています。
この前、精神科医の友人と飲みに行きましたが「精神科の病院、精神科医は、塩釜焼の塩釜の話しかしないね」という話をしました。
「どういう意味︖」と問われたので「大切なのは、塩釜焼き中に、どんな食材が入れられているかだよ」
「例えば、うつ病の人がいたら気分が沈むとか、やる気が出ないだとか、うつが再燃したとか・・そんな話をするんじゃなくて、なぜ気分
が沈むようになったのか、なぜやる気が出なくなったのか。中身の話をしていかないと・・。でも、そんな話をしないね」という話をしました。
例えは、塩釜焼でも、鍋でも、なんでもいいんですけどね・・。
人の苦しさの中身を知ろうとしない治療者が実に多いのは嘆かわしいことですね。
精神科、心療内科の精神科医というものは症状しか追わないなあとずっと思ってきました。
僕は、過去、精神科病院で 20 年間働いてきて思ったことです。
- うつ病だと、活気があるだとか、無いだとか・・。
- 不安障害だと不安感があるだとか、無いだとか・・。
- パニックだと自律神経症状があるかないか。
- 強迫性障害も、強迫観念や、強迫行動の有無。依存症状だと、依存行動をやめているか、やめていないか。
薄っぺらいなあ、表層しか掬わないなあと思います。
まあ、症状を追いかけて苦しんでいる方が楽になったらいいのですけどね・・。
ただ、苦しんでいる当の本人が苦しみにとらわれるのは仕方がないことだと思います。
うつ病の方が「なんでこんなに気分が沈んで、やる気がでないのだろう・・」とか、
不安障害の方が「不安で生きていくのが辛いから、楽にしてほしい」とか。そう考えてしまうのは当然だとは思います。
だって苦しいんですから・・。そのことばかりが頭をぐるぐるぐるぐる巡るんだと思います。
でも、治療者がそれでは、苦しんでいる人を回復に導くことはできないと僕は思っています。
治療者の在り方
- うつ病だから・・じゃなくて、なんでうつ病になったか・・。
- セロトニンの分泌が少なくてうつ病に・・じゃなくて、なんでセロトニンの分泌が少なくなったのか・・。
- 真面目な性格でうつ病に・・じゃなくて、なんで真面目な性格になったのか・・。
- 不安感が強くて・・じゃなくて、どこからその不安感はきているのか・・。
- 依存行動がやめられなくて・・じゃなくて、なぜ依存行動をしなければならなくなったのか︖とか・・
何がそんなに苦しいのか・・・
そういう根っこの話、本質の話、塩釜焼の中身の話、苦しさの中身の話をしないと・・
苦しい人が楽になっていくことはないと僕は思っています。