K’sセラピールームでカウンセラーをしている片山太郎です。
心理療法を行う資格について
初めに断っておきますが、僕の持っている資格は看護師だけです。
精神科医でも、臨床心理士でもございません。
ですから、治療ができる有資格はないということになります。
でも、実際はずっと僕は治療してきました。
依存症病棟で、です。
みなさん知ってか、知らずか分かりませんが、依存症という病気は薬では治りません。
薬では治らない病気は病気ではない、とお思いの方もいるかもしれませんが、きちんとWHO(世界保健機構)で認められている病気です。
医者が治療しないのか?とお思いかもしれませんが、医者は忙しいのです。
精神科、心療内科で診察を受けた方は分かると思いますが、短い時には5分、10分診察して処方を出して終わる、その中でどんな治療ができようかといったところです。
依存症についてどういった治療がおこなわれているかというと認知行動療法です。
医師が認知行動療法をおこなえば、きちんと診療報酬を受け取ることは可能ですが、先ほど述べたように医師は忙しく、なかなかその時間をとることができません。
しかも、精神科医といえども認知行動療法や心理療法の専門家ではありません。
では、どうするか?
現実は僕のような看護師や作業療法士、臨床心理士が治療の主体です。
そして、依存症の世界では約40年間もこの認知行動療法をしてきたという実績があります。
その中で9年間、治療の中心的存在として働いてきました。
しかしながら、肝心のその認知行動療法でさえ、アルコールの場合ですと、1年間の断酒率が20~30%です。
はっきり言ってやらないよりはやったほうがましというような回復率です。
僕を含め、僕の同僚の医療者は、依存症という途方もない病気に対して「医療は無力だ」と思っていました。
長い間です。
条件反射制御法という治療が依存症の治療を変えた
しかし、僕は、2011年に条件反射制御法という治療に出会いました。
下総精神医療センター 薬物依存治療部長 平井愼二 医師によって作られた治療法です。
2011年以降、病院では、条件反射制御法の専門家として治療をしてきました。
条件反射制御法は画期的な治療法です。
条件反射制御法や既存の行動療法を勉強していくなかで2015年、やっと依存症という非常にやっかいで困難な病気を治すことができるという確信を得られるまでになりました。
なので、有資格者に治してもらいたいとお思いの方は、精神科医ならば、精神科、心療内科へ。
臨床心理士ならカウンセリングルームのような名前で開業しているので、そちらの方を頼ってみてはいかがでしょうか?
ただし、精神科医も臨床心理士も必ずしも専門家ではないということです。
おそらく、依存症という病気の治療にかかわったことがなく。
認知行動療法を勉強はしていても、実践したことがなく。
ましてや条件反射制御法など聞いたこともないかもしれませんので、悪しからずです。
僕はたしかに有資格者ではありません。
でも、僕には、依存症というやっかいで困難な病気とかかわってきたという臨床経験と、認知行動療法や条件反射制御法といった薬ではない治療の知識と技術と、意志の力や愛や薬では回復し得ない人々を回復させてきたという実績があります。
心理療法を実施していく中で大切なこと
メンタルヘルスの治療者に大切なことはなんだと思いますか?
人格ですか?あそこの心療内科の先生は優しくて良い先生だったとか、よく聞きますからね。
でも、いくら良い人でも、病気を治してくれないと困りますよね?
私見ですけど、治療者として大切なことは2つあると思います。
それは、心理療法と、かかわりであると。
心理療法については少しだけこのブログに綴ってきたので、少しはわかっていただけたところもあるかなと思いますが。
→心理療法について
人との、かかわりについては書いていないと思います。
人とのかかわりについて
僕はずっと依存症の病棟で看護師として働いてきました。
そもそも看護とはなんだと思いますか?
看護の役割は診療の補助だとか、看護とは入院・治療環境の整備だとか、身体的ケアだとか、健康を維持・増進させるための助言・指導であるとか言われますが、その前に必ずかかわりがあります。
僕は看護とはかかわりのプロだと思ってます。
そもそも、精神科の看護は、依存症病棟の看護は、ほとんどかかわりでしかない。
特に「依存症看護は究極のかかわりである。依存症看護が出来たら、他のどの科に行っても勤まる」と、そう言われます。
僕が言ってるわけじゃないですよ。
依存症看護の教科書にはそのように書いてます。
僕がどの科にいっても勤まるとは思いませんが。
依存症看護、依存症者とのかかわるのが難しいのは確かです。
僕も、長年、依存症病棟で働いて来て、胸ぐらを掴まれて「殺すぞ」と言われたこともあるし、「今、退院して、死んだら、あんたのせいだからな」と言われて、退院して実際に自殺したりと。
安っぽい言い方ですが、命をかけて真剣に、誠実にやってきても、そんなことがあるんです。
因果な商売ですね。
自分でも、よくこんな仕事をしていると思います。
しかし、この仕事が好きなので仕方ないですね。
まあ、アルコール依存症や覚せい剤依存症、依存症病棟には境界型人格障害といった診断がついた人も多いですし、同僚の医師や看護師も忌み嫌う分野です。
こういった人達と日々かかわっていくわけですから、究極のかかわりといっても過言ではないでしょう。
具体的なテクニックとしても、MI(動機付け面接法)とかCRFTとか、そういうかかわりのテクニックが多く、そのテクニックは依存症の分野から、他の分野に広がりをみせているところです。
カウンセラーとして病気の改善に関わるのであれば、やはり大切なことは治療者と同じで、治療とかかわりです。
それは知識であり、技術です。
僕はそれらを習得してきたと思っています。また、これからも学んでいくでしょう。
心理カウンセラーとしての才能について
心理カウンセラーとしての才能はなんだ思いますか?
こんなことを書いてしまうと、さも僕が才能がある前提、上から目線で書いているように思われるでしょう。
もしくは恥も外聞もないように思われるかもしれませんが、まあ自分のブログなので好きに書かせてください。
僕もたくさんの治療者を見てきたつもりです。
それは、医療職だけではありません。
人を助けるということを生業にしている人達をです。
そういった人達を見てきて共通点があることに気がつきました。
それは、治療者自身が苦しんできた人ということです。
苦しんできたからこそ、その言葉には重みもあるし、クライエントの苦しみに共感できる部分もあると思うのです。
しかし、苦しんでる人が治療者なのは、クライエントにとってはどうでもいい話だし、クライエントにとっては失礼な話なのかもしれません。
僕は、自分の苦しみに向き合い、それを乗り越えてきた人が始めて治療者と名乗れるのではないかと感じています。
まあ、僕自身も例外に漏れず苦しんできたという話なのですけどね。
僕は、依存症病棟で長らく働いてきました。
しかし、そこは同僚の職員も毛嫌いする病気であり、病棟です。
でも、僕は一生懸命、依存症とは何か、そのメカニズムは、どうやったら治るのか、どうかかわるのか、臨床で学び、勉強もしてきました。
当然、患者とも一番深くかかわってきたと自負しています。
同僚から「なんで、そんなに頑張るの?」と聞かれたこともあります。
僕は「患者が死ぬから」と答えてきました。
依存症病棟で働いたことがない人は不思議かもしれませんが、依存症は、特にアルコール依存症は早々に死に至る病です。
他の精神疾患は慢性期疾患で、そこに苦しみはありますが、すぐに死というイメージはないかもしれません。
しかし、アルコール依存症は早く死にます。
突然死、身体疾患を合併して死ぬ、多くがうつ病も合併しますので、自殺も多いです。
ギャンブル依存症者は失踪するし、違法薬物依存症者は犯罪をしたり、逮捕されます。
「次はない。何とか治療したい」という思いで長らくかかわってきたと思います。
しかし、なんでこんなに、僕は頑張ってきたのだろうか?死ぬからといっても、所詮は人ごとです。
病気の前では、ただの一看護師が頑張ったところで無力なものです。
僕が頑張らなくても、代わりなんていくらでもいるじゃないか。
なんで頑張ってんだろう?
もっとそんなことより、人生を楽しんで生きていったほうが幸せじゃないのと思ったものです。
やっと最近、自分はなぜ頑張ってきたのかというこを、あるクライエントの言葉で気づかされました。
ある長年精神疾患を患ってきたクライエントを回復させたとき、
そのクライエントが「私の人生は何だったんですか?くやしいです・・・」とおっしゃられました。
そうですよね、、
生まれてほとんどの時間、精神病・苦しさとともに生きてきて、それで苦しさがなくなり回復しましたとなっても納得いかないだろうな・・・と思います。
今まで苦しんできた分「くやしい・・・」という感覚は、僕もものすごく分かります。
僕も苦しんで生きてきて、それで精神病院で働いて、20年・・・僕の人生って何だったんだろうと思います。
くやしくて人生をとりもどすためにカウンセラーをしてきたというところもあっただろうと思います。
苦しい人を助けるために、あるいは、自分の人生をとりもどすために、僕は今までやってきたのだと思います。
今になれば、どちらも歪みの中の自分のように思います。
今、素直に思うことは、もっとシンプルに自分を愛し、人を愛していきたい・・・その延長にカウンセラーという仕事があるように感じています。