条件反射制御法との出会いと臨床での実践

条件反射制御法との出会い

人付き合いが上手くできず、生きづさを抱えて生きてきた僕ですが。
患者さんにとってはまったく失礼な話かもしれませんが、自分が救われるためにやってきた部分も多くあったと思います。
もちろん、仕事は真面目にしてきましたよ。

特に依存症は「生きづらさの病」と言われることもあり、生きづらさを治す(治らないことの方が多いが)その、かかわりの中で自分を見つめ、自分の生きづらさに気づき、自分の生きづらさを修正するという日々でした。

精神科病院内の依存症治療の大きな役割は、自助グループ(回復のためのグループ)へのつなぎぐらいしかなく、はっきり言って誰がやってもだいたい同じです。
僕もある程度、生きづらさもなくなり、仕事も代替可能なものであるなら、もう、ここにいる理由もないと感じていました。
まあ、マンネリですね。その時点で、8年も同じ仕事をしてきたので。

そんな、ある日です。
やはり、河本先生に「条件反射制御法という治療ができました。しっかり学んできなさい」と言われました。
河本先生が、学んでくるようにいうなんて珍しいこともあるもんだと思って気合を入れて研修に行きました。

その日は、忘れようもない2011年3月11日です。
そう、ちょうど、東日本大震災があった日です。
いろんな意味で、忘れるわけがないですね。

条件反射制御法は下総精神医療センターの平井愼二 医師が作った治療法です。
今まで、理解不能だった患者の行動が条件反射という言葉とともに、それらが符合し、合致していくのを感じました。

アルコール依存症者が夕方に欲求が強くなるのも、
夜中に急に帰ると言い出すのも、
泣きながらお酒をやめたいと言っている人がお酒をやめられないのも、
自分の中に神と悪魔がいると言っていた薬物依存症者も、

それらの症状がその人その人で微妙に違うのも、すべては条件反射のせいだったのかと思いました。

また、臨床では、ずっと依存症者の飲酒欲求や薬物欲求、渇望は生涯治らないと言われてきました。
それが、条件反射制御法を使えば、生涯治らないとされていた、渇望が治る、渇望を消すことができると教えていただいた。

今まで、一生懸命かかわってきたけど、無力でした。
多くの患者は無念のうちに死んでいきました。
逮捕されたものも多くいました。

そんな、依存症という強大で、困難な病気に対して、戦える武器をやっと手に入れた気がしました。
そして、僕はまだ依存症病棟でできることがあると思えました。

芽吹き

条件反射制御法の実践

2011年3月11日に条件反射制御法という治療について学んだ僕は、病院に帰って、さっそく治療を開始しました。
しかし、条件反射制御法の治療の話の前に、依存症病棟の標準的な治療について説明しておかなければなりません。

アルコール依存症に対する治療プログラムは概ね、どこの病院でも1つです。
そのプログラムは久里浜式プログラムといわれる治療で、通称ARP(アルコールリハビリテーションプログラム)と言います。
認知行動療法という心理療法を使った治療法です。

治療回復率は1年断酒率が、20~30%程度です。
久里浜医療センターは国立の病院で、日本のアルコール依存症医療のスタンダート治療を作っている病院です。
そのため、日本中の依存症をあつかっている病院では、概ねこの久里浜式プログラムを使って治療をしています。
そして、この久里浜式プログラムは歴史が古く、約40年ぐらい改変しながら治療をおこなっています。
しかし、この3割の壁というのは、なかなか越えられないみたいですね。

そして、アルコール依存症という病気はスリップ(再飲酒)する病気です。なので、何度も再入院を繰り返します。
そりゃそうですね。
1回目の治療で20~30%しか回復しないのだから、再入院するしかないですね。

まあ、でも、基本的に同じ治療なので、2回目、3回目と、どんどん回復率は低下するばかりです。
という訳で、現場では再入院、再々入院の方々の治療が不足していたのです。

最初の2年間で僕は約50人ぐらいの条件反射制御法治療をおこないました。

病院の中

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