心配して、尽くして、自分なりに精一杯愛してきた・・・。
それなのに、怒られたり、憎まれたり、裏切られたり・・・。
なぜ、こんな食い違いが生じるのでしょうか?
それは、真に愛せていないからです。
僕は、愛は伝わらないと、愛ではないと思っています。
前述したようになっているのなら、残念ながら、あなたの愛は相手に伝わっていないのです。
伝わっていない愛は片思いです。
言い方は悪いですが、伝わらない愛は、ストーカーが少女に対して抱く愛と変わりはしないのではないでしょうか・・。
それならば、まず、自分勝手でもいいから、ご自分を愛してはいかがでしょうか。
自分が幸福になれば、自分勝手であったとしても、多少なりとも人を愛せれるでしょうというのが、最近、繰り返し言ってきたことです。
しかし、なぜうまく愛せないのでしょう。
なぜ、愛が伝わらないのでしょう。
それは、愛し方を知らないから、教えてもらってきてないからではないでしょうか。
愛を教えてくれるのは、愛の教科書は、親です。親との関係です。
本来は、親子関係の中で自然と愛情を与えられ、教えてもらうものなのです。
人がうまく愛せない理由は、愛されて育ってきていないからではないでしょうか。
でも、僕は、大人になれば人はみな愛するということを学んでいると思っています。
だって、世の中には、愛の歌も、恋愛ドラマも、ホームドラマも、学校の先生でも、恋人でも、会社の上司でも愛を教えてくれるでしょう。愛は世の中に溢れかえっているのですから。
そのようにできるのなら、そのようにしたらいいのです。
でも、僕のところに来る人たちは、ああいうキレイなものを見て「綺麗事ばかり言いやがって・・」と内心思って。
そういう僕も、かつて、そう思っていましたが。分かっていても、できない人ばかりです。
やはり、幼少期から続く親とのかかわりの連鎖というか、呪縛というか・・・。そういうものを断って、愛ある人間になるというのは非常に難しいことなんですよね。
それは、置いといて、愛するということを勘違いしている人が多いので。
愛とは何かということを今回は伝えることができればと思っています。
愛なんて定義づけるものではないのかもしれませんが・・。このブログで伝えることは、僕なりの愛とは・・の答えと思ってもらえればと思います。
まず、愛とは、伝わらなければ愛ではないと言ったのはその通りですが・・。伝わらない愛もあるということです。・・・それは、諦めて下さい・・・。
その方が伝わるという因果なこともあるのですよ・・・。
愛を知る前に、愛はと違う行為のことを知りましょう。
愛とは、暴力(虐待、モラハラ、DVも含む)ではないですね。
放任(育児放棄、ネグレクト、ほっとく)でもないですね。
ここらへんは分かりやすいかと思います。
愛とは、心配(干渉、押し付け、支配、コントロール)でもないですね。
「私の気持ちがどうして分からないの・・」みたいな人は、こういうかかわり、愛し方をしている人が多いので要注意です。
愛とは、甘やかしでもないですね。
僕が親子のかかわりで一番厄介で、難しいと感じるのが、この甘やかしです。
甘やかしの厄介さは、甘やかされた人間が生きる力を奪われ、弱いということもありますが・・。甘やかしの厄介さは、それぞれが、これを「愛」と呼ぶところこそが厄介ですね・・・。
連鎖や呪縛というのなら、甘やかしの呪縛をとることの難しさといったらないですね。
それで、長々書きましたが。愛とは、それ以外ということです。
こういうことを伝えると「じゃあ、私は何もしたらいけないんですか!」と怒ってしまう人もいますが。
どうして、そうなっちゃうんでしょうね。放任も愛じゃないって言ってるんですけどね(汗)。
愛とは、ただ傍にいることです。
見守るという愛があるのです。
そして、できれば楽しい話をして欲しいですね。
一緒に旅行に行ったり、映画をみたりするのもいいでしょう。
もちろん、押しつけはいけませんよ。そして、無理もしてはいけません。
前回、言った通り、人のためは人のせいにしてしまう生き方ですから。
さらに、できれば、苦々しい顔をして傍にいるのではなくて、笑顔でいて欲しいものです。
愛とは、愛そうとするものでさえないからです。
愛そうとするのではなく、愛するのでもなく、愛は自然と溢れ出るものなのかもしれません。
できることなら、これを読んだあなたこそが人を愛せれる太陽のような人になっていただけたらと思います。
愛とはそんなものではないかなと僕は思うのですが、みなさんはどう思いますか?